静岡市営浅間アパート

静岡市営浅間アパート
所在地:静岡市葵区 西深草町27
構造・階数:RC・4
建設年:1958(昭和33)年度
解体年:2016~17(平成28~29)
Photo 2014.3.11

 静岡浅間神社の目の前、麻機街道沿いに建っていた2棟のアパート。東側は西草深公園。低層なのでエレベーターはナシ。またアパートの1階には複数の店舗が入居していたいわゆる下駄履きアパートだった。

 Googleの普通の検索では関連情報が出て来なかったが、AIモードの検索で下記リンク先が現れ、市営アパートだったことが確認でき、また建設年も把握することができた。リンク先のページにはディテールが分かる写真も掲載されている。

 静岡市内には駒形通の方に1948(昭和23)に建てられた羽衣団地というのがあり、そちらは公営団地としては日本最古だという。それに比べれば10年も新しいアパートではあったが、やはりやや古びた感じは否めないようすだった。


 手前が第1、奥が第2   Photo 2009.2.8

 老朽化していて、次第に店舗も閉じていたのでどうなるのかなと思っていたが、建て替えには結局ならず、シンプルに除却された。現在は空地のような状態で、隣の西草深公園の一部のようになっている。

静岡市営浅間団地(静岡県静岡市) - ゲタバキ天国へようこそ!

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NHK静岡放送局

NHK静岡放送局
所在地:静岡市葵区 西深草町1-2
構造・階数:RC・3+R+塔
建設年:1963(昭和38)
解体年:2020~21(令和2~3)
Photo 2018.1.11

 駿府城外濠の濠端にあったNHK静岡局の建物。

 Wikipedia等の記述によれば、NHK静岡放送局は、
 1931(昭和6)年3月21日に開局。最初は柚木に局舎が置かれ、谷津山の鉄塔からラジオ電波を飛ばしたという。

 1954(昭和29):追手町の静岡県民会館に放送局が移転(私はこのことは今回Wikipediaを見るまで知らなかった)。
 1957(昭和32):テレビ放送を開始。テレビの電波は日本平(日本平のテレビ送信塔群)から送信。
 1959(昭和34):ラジオの支線式鉄塔(高さ約140m)が市内高松にできて、ラジオ(AM)は谷津山から高松に切り替え。

 1963(昭和38)年3月1日:写真の建物に放送局が移転。

 小中学校の時代、私はこの局舎の前を通るバス路線を使って通学していた。「NHK前(現在は西草深町)」というバス停もあったりしたが、毎日、車内からなんとなく見ていただけで、中に入ったことはもちろんなかったし、じっくり眺めたこともなかった。ただ、昭和な感じの低層の建物の屋上に赤白に塗られた鉄塔が載っている建物だということだけはずっと覚えていた。
 なお、写真の「NHK」という白のタマゴ型で囲まれた赤い文字のロゴは、1995年4月~2019年度末までのものだそう。昔はシンプルなNHKの白い文字だったように記憶している。

 老朽化や地震対策で新局舎が建てられることになり、それが駿河区の新幹線沿いに完成したことで旧局舎は御役御免になった。写真は新局舎への移転の少し前に撮ったもの。個人的には外濠沿いに立つこの塔は案外格好良かったなと今も思う。

 新局舎は4階建てでシンプルな直方体。屋上に設置されている送信塔も四角柱型の鉄骨櫓で、モダンというか現代的なデザイン。

 改めて考えると、旧局舎は昭和30~40年代の地方の放送局として典型的な姿をしていたのだなと思う。

 そういえば、私が高校生だった頃に静岡局でアナウンサーをしていた方と、少し前にお話させて頂く機会があり、当時のことをちょっとお聞きした。そのアナウンサーさん曰く、1980年代、静岡局の建物は既にちょっと古びた感じの建物や設備に思われました、とのこと。東海地震(来るといわれて50年経ってもまだ来ないけれど・・)対策もあるから、建て替えは妥当だったのではないかと思う。地震で放送局がダウンしてしまうのはまずいからな。

 2018年3月に局が移転した後も、2020年の末頃まではなぜか建物が残されていたが、その後、解体されて跡地にははマンションが建てられている。

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日東紡績静岡工場 2

日東紡績静岡工場
所在地:静岡市葵区 長沼500
構造・階数:RCもしくは煉瓦?・1
建設年:戦前?
解体年:1995~96(平成7~8)
Photo 1995.5.7

 以前に掲載した日東紡績静岡工場の敷地内だが、敷地南側を通る静岡鉄道沿いにあった工場建物。撮影したときに場所などを整理しなかったため、どこだったのか最近まで詳細が分かっていなかったが、よくよく見たら「日東紡績」と書かれた煙突が奥にあって、前述の工場の一部だったことが判明。

 鉄道にぴったり並んだ長い建物だったので、昔は鉄道の引き込み線が入っていたりしたのかもしれないなどとも思い、昔の航空写真や地図をチェックしてみたが、引き込み線等は全く確認できず。どうやらそういうことはなかったようだ。よく考えてみたら、静岡鉄道が貨物営業をしていたのは開業当初の頃だけだったようだし、静鉄は国鉄に繋がっていないので、貨物の搬入や搬出にはあまり向いていなかったわけで、これは単に敷地ぎりぎりにまで工場を建てたということだったのかもしれない。

 二連の切妻屋根で倉庫のようにも見えるが、ここも紡績機が置かれた作業場だったのだろうか。建設年代や用途の詳細は知らず。

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静活有楽会館(ミラノ1・2・3)

静活有楽会館(ミラノ1・2・3)
所在地:静岡市葵区 七間町17
建設年:1961(昭和36)
解体年:2011〜12(平成23〜24)
備考 :2011.11.2閉館
Photo 2009.2.8

 七間町通りを県庁や市役所方面から西へ向かうと左側にあった映画館。映画館なので2Fから上の正面ファサードには窓や装飾がなく平滑。モダニズムの時代だったから不要な装飾はしなかったのかもしれないが、倉庫のように見えてしまう。もう少しなにかデザインがあっても良かったのではないかと思う姿だった。

 戦前にはここに立花館という映画館があったそうだが、静岡大火と戦災で二度焼失。戦後、静岡銀座劇場となっていたという。

 この建物は、1961年に静岡日活劇場とアートシアター ミラノの2館として完成したもの。昭和40年代に静岡日活劇場は日活並木座に改称。日活がロマンポルノ路線に替わったことから日活並木座では成人映画が上映されたという。
 この日活並木座には1階席と2階席があったそうで、その後にこれを改修して上下を分離。1階が日活並木座(日活ロマンポルノ)、2階はカブキ座(外国のポルノ)として、ミラノとあわせて3館になった。上階の前方にスクリーンを立てて防音しただけだったのかもしれないが、それでもこの改修はちょっと珍しい気がする。それともかつての映画館ではこのようなことがときどきあったのだろうか。

 1990年代になり、レンタルビデオの普及に伴い成人映画が衰退したことから、3館はミラノ1・2・3となり、成人映画をやめて邦画、洋画の名作などを上映する映画館になったという。この頃は、1Fがミラノ3(222席)、2Fがミラノ2(120席)、そして4Fがミラノ1(240席)という構成だったそうだ。

 静活が新静岡セノバ内にシネコンを造りそちらに移行したことから、2011年11月2日に、静活有楽会館も含め、七間町で営業していた6館9スクリーン全てが閉館した。跡地には20階建ての超高層マンションが2015年に完成している。

七間町名店街 | 七間町アーカイブス 昭和30年代 ミラノ座
静岡市の映画館 - 消えた映画館の記憶
静岡ミラノ1・2・3 (港町キネマ通り)

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静活会館(静岡オリオン座(2代)・有楽座)


 Photo 1992.4.9

静活会館(静岡オリオン座(2代)・有楽座)
所在地:静岡市葵区 七間町15
建設年:1957(昭和32)
解体年:2011(平成23)
備考 :当初は静岡松竹劇場と有楽座として開館。
    1971(昭和46)に静岡松竹劇場を静岡オリオン座(2代)に改称。
    2011.10.2閉館

 静岡の映画街、七間町通り沿いで中核を成していた大型映画館。建物全体としては静活会館といったそうだが、地元の人にはオリオン座として知られた建物。

 最初(初代)のオリオン座は昭和通りと青葉公園の交差点の角に1951(昭和26)年に開業。1971年にそれが移転してここが2代目のオリオン座になったという。座席数は1,124席(1990年の改装で席の幅や間隔を大きくして619席となった)、スクリーンも幅17mと全国最大規模で、設備も豪華だったそうだ。

 下記リンク先「七間町名店街 | 七間町アーカイブス」には、静岡松竹劇場と有楽座だった頃の写真が掲載されている。当時は七間町通りに「有楽街」と書かれたネオンサインのゲートが架けられていた。ゲートには、静岡大映、アイスパレス(アイススケート場)、銀劇(銀座劇場)、国際(国際劇場)、オリオン座、静岡松竹、有楽座と、当時の主要な映画館や娯楽施設の名が並んでいた。


 Photo 2009.2.8

 静活会館(2代目オリオン座)は、ジョルジュ・スーラ(1859〜91)の点描画「グランド・ジャット島の日曜日の午後」をモザイクタイルで描いた壁画(縦12m×横19m)がファサードにあるのが印象的だった。相当な手間を掛けた建物で、映画が娯楽の中心だった時代の勢いを感じさせるものだった。巨大だったため、正面から壁画全体を写すのは私のコンデジではかなりきつかった(離れると街路樹などが写り込んでしまう)。


 北東側から  Photo 2009.2.8

 屋上には櫓があり、かつてはここに「毎日新聞」と書かれた球形の広告塔が載っていた(下記リンク先「七間町名店街 | 七間町アーカイブス」参照)。
 改修されていたようで、1992年とも外観が少し異なっている。1992年には玄関庇の上に「Orion」の字が光っていたが、それはなくなっている。また、1Fの軒庇がかつては直線的だったが、2枚目ではアーチが連続した形になっている(樋などで隠されていたのが見えるようになったのかもしれない)。また、チケット売り場の仮設的な緑色の庇がなくなり、軒先の袖看板のデザインも変わっている。


 玄関付近  Photo 2009.2.8


 南側から全景  Photo 2011.9.22

 閉館になる少し前に訪れたら、屋上の塔は撤去されていた。


 Photo 2011.9.22

 七間町は、全国的には少なくなっていた「映画街」の街並み風景を残していた。しかしここで多くの映画館を経営していた静活が、新静岡セノバ内にシネコンを開設することになったことから、七間町にあった映画館の大半は2011年9月に閉じられた。オリオン座の跡地には、その後、静岡市の上下水道局の庁舎が建てられている。

静岡市の映画館 - 消えた映画館の記憶
静岡オリオン座/静岡有楽座 (港町キネマ通り)
静岡オリオン座 - Wikipedia
七間町名店街 | 七間町アーカイブス 昭和30年代 静活会館

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静活プラザボウル/コスパル


 Photo 1992.4.9

静活プラザボウル/コスパル
所在地:静岡市葵区 七間町4
建設年:1970(昭和45)
解体年:2020(令和2)
備考 :2020.1.5閉館

 静岡市の中心部、七間町通りに面してあったアミューズメント施設。

 中心部近くの学校に通っていたので、高校生の頃はここでしばしばボウリングをしたりしていた。期末試験が終わった後などに、打ち上げと称して、クラスメイト数人で行き、アイスクリームなどを賭けていつも3ゲームほどやっていた。
 半地下の方にはパチンコ屋があったが、そちらには全く行かず(中高生だったし・・・)。ゲームコーナーもあったはずだが、なぜかそちらにも行かなかった。ボウリングの方が数百円で友人とわいわいしゃべりながら、2、3時間楽しめたからかもしれない。社交的な意味合いが大きかったのだろう。上手いか下手かは関係なくて、共学だったこともあって男女一緒に遊んでいた。チーム戦などという組織的なことも行わず、ただそれぞれが思い思いに、でも一緒に球を投げていた。いま思えばなんだか平和な時間を過ごしていたのだなと思う。

 高校生の頃は自転車通学だったので、ここが混んでいるとわざわざ少し離れたボウリング場までみんなで行って遊んだりもした。まだカラオケボックスがなかった時代、まちなかで中高生が集まって遊ぶのはボウリング場、というのが相場だったのかもしれない。

 神明ボウル(2023年閉館)、チャーリー・ワン(ボウルアピア、当初は120レーン)、トマトボウル(昔は丸子ボウルではなかったかな、現在はココレーン駿河店)。。中心部から数km離れていたが、そこまで大挙して自転車で行っていたわけで、そうまでしてボウリングをしたかったのか・・・という感じだが。

 1970年発行の住宅地図では、七間町通り沿いは西陣パチンコで、その東側は静活用地(建築中)となっている。地図の調査は恐らく前年の1969年なので、その時点ではまだ完成していなかったのだろう。両替町通り側には数軒の店舗が記されていて、それらはその後も建物の一部となって営業を続けていた。
 1972年のゼンリンの住宅地図や、静岡市住宅明細図では、1Fパチンコ西陣、2・3F静活ボウルとなっている。

 拙ブログを見て頂いて「けんみんテレビ」の記事にコメントしてくれた方が指摘していたが、1975年発行の住宅地図には、静活レーザークレーという記載がある。レーザークレーについては、私は体験しておらず、見た記憶もないので、下記Wikipediaの方を御覧頂きたいが、簡単に言うなら、クレー射撃をスクリーン上で体験できるシミュレーションゲームだったそうだ。このレーザークレーは1978年の住宅地図にも記されているが、オイルショックもあって客足が遠のき、あまり続かなかったという。1980年代になってから訪れるようになった私などは、そのようなものがあったこと自体知らなかった。


 Photo 2011.9.22

 1990年代の住宅地図は調べていない。2000年の住宅地図では、1Fと2Fがセガワールド、3Fが静活ボウルとなっていて、どこかの時点でパチンコ店はゲームセンターに替わったようだ。また、90年代頃からはコスパルという名にもなっていた。

 大学生になって静岡を離れてからはここで遊ぶことはなくなってしまったが、その後も七間町通りを通ると当時のことが想い出されるのだった。


 江戸屋があった角  Photo 2016.8.18

 ところで、1枚目写真の左端、街区北側の角は、袋物の菓子などを扱っていた「江戸屋、お菓子のエドヤ」。昔は親が町内会などの寄合に行くと、貰って帰ってくることもあった。こちらは2005年頃?に解体されて、その後はずっと駐車場になっていたが、静活プラザの再開発時に一体的に開発が行われた。お店の方は昭和通り沿いに移転して営業を続けていたそうだが、2024年頃に閉店した模様。


 Photo 2018.1.11


 両替町通り側に並んでいた店舗  Photo 2011.9.22


 両替町通り側(閉館後) Photo 2020.2.14

 そして、2020年、この静活プラザビルは建て替えられることになって閉館。2022年2月に新しい施設「ARTIE(アルティエ)」がオープンした。以前は街区の南北の角に、江戸屋や江戸っ子、静岡銀座街と別の建物があったが、新建物はそれらがあった敷地も含めて、呉服町の裏通りから両替町通りまでのものになっている。また、前面に広場が設けられ、大屋根が架かっているのも特徴的だ。


 ARTIE(アルティエ)  Photo 2024.3.30

親しんだレーンに別れ 静岡・静活ボウル建て替え|47NEWS(よんななニュース)
静岡市に新たな複合施設「ARTIE(アルティエ)」オープン ボウリングや飲食楽しむ新名所に - LOOK 静岡朝日テレビ
複合施設「ARTIE」2月25日オープン 静岡 ボーリング場など /静岡 | 毎日新聞
レーザークレー - Wikipedia
静活 - Wikipedia

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江川町交差点の木造店舗

江川町交差点の木造店舗
所在地:静岡市葵区 追手町2
構造・階数:木・1F
建設年代:戦後まもなく?
解体年 :2012(平成24)
Photo 2009.2.8

 江川町交差点の北側角にあった建物。写真の時点では西側からタバコの自販機、宝石・貴金属買い取り「ジュエリーバンク」、名代つけめん麺家「水心子(すいしんし)」。

 1972年、73年のゼンリンの住宅地図には、西側からアイワ徽章、ミユキ、静興社と記されていた。同年の静岡市住宅明細図では、ミユキと静興社の間に「餃子の店」という記載もある。
 静岡で暮らしていた頃、この角地の店舗は全く縁がなかったが、ミユキはボタン屋さんだったような記憶がある。私が小さい頃に母がときどき立ち寄っていたような・・・。

 左側の3階建てビルは1972年の住宅地図で「駿河ビル」とされていて、1階には「うぐいすや電気」という店があったそうだ。1956(昭和31)年に海野幸正氏によって撮影された写真(『写真集静岡今昔100景』p.57)にもこのビルは写っているが、電気店は写真の時には既に閉鎖されていたのではないかと思われる。

 この写真の3年ほど後にこれらは解体され、現在、同所はコンビニ、飲食店、歯科が入居する3階建てのビルになっている。

『写真集静岡今昔100景』海野幸正監修、羽衣出版 編集・発行、2001

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長春駅前

1ヶ月ほど経過したら1995年の位置に移します。

9月6日(火) 長春

16:30〜40 長春駅前に行く。


 春誼賓館/旧新京ヤマトホテル
 1909年竣工

 旧新京ヤマトホテルは長春駅の目の前にある。広場が広いので近くに行く時間がなく、望遠で撮影。時間を取って近くまで行ってみれば良かった・・・。


 長春駅の駅前広場

 大都市の駅前広場なので、広々としている。あとあと分かるのだが、中国の大都市の駅前広場は全体にかなり広い。というか、日本の駅前広場は多くの人が集まる割にかなり狭い。


 長春駅

 駅ビルはこの訪中の少し前に建て替えられた近代的な大型ビル。あからさまな中国風ではないが、それでもどこがどうとは言えないが、なんとなく日本には無いデザイン。なんというかこれ見よがし的な感じが出ているというか・・・。

 長春駅、駅前広場のパノラマ。郊外へ行くバスやタクシーなどがたくさん駐まっていて人も多い。


 駅前広場にいた公安警察。望遠でこっそり撮影!


 建設途中の高層ビル

 街なかの超高層ビルにはほとんど全てクレーンが載っている。まさに開発途上の都市だということらしい。

 1995年当時は、木や竹で足場を架設して、簡単な工事用エレベーターを設置して工事が行われていた。転落防止のため足場は網代(ゴザ?)で覆われていることが多かった。なんらかの理由で火が点くとあっという間に足場が全焼してしまうので、近年は少なくなっているようだが、それでもときどき火事のニュースが伝えられたりしている。


 吉林大学

 少々クラシックな感じだが、満州時代ではなく戦後の建物のようだ。

 その後、バスで斯大林大街(スターリン大街)を南下。メインロータリー、関東軍司令部そばを通ってホテルに戻る。

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長江路、勝利大街周辺の近代建築

1ヶ月ほど経過したら1995年の位置に移します。

9月6日(火) 長春

 長江路、勝利大街周辺に残されていた旧満州時代の近代建築


 旧横浜正金銀行長春分行 1922年 竣工
 設計:中村與資平
 イオニア式の付け柱を持つ様式建築。1995年時点ではカラオケのあるナイトクラブだった模様。


 旧東公園前警察官吏派出所
 アールヌーヴォー風の壁面装飾を持つ小建物。この時点では照明関連の店。


 右)旧満州中央銀行南広場支店
 「長春市汽車貿易中心」の看板下の付け柱はイオニア式


 旧朝鮮銀行支店/中国工商銀行
 赤レンガ(暗褐色?)の壁面に白い石を入れた「辰野式」風の華やかな外観。

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長江路周辺

1ヶ月ほど経過したら1995年の位置に移します。

9月6日(火) 長春

15:25〜16:20 長江路周辺、つづき。肉まん4元。


 煉瓦造モルタル塗り長屋店舗


 やや古そうな煉瓦造長屋店舗。戦前に建てられたものだろうか?


 さまざまな店舗や露店のある街


 鋭角の角地建物。これもちょっと古そう。


 煉瓦造2階建ての前の路上に盛大に露店が建ち並ぶ。果物市場?


 多くの人が店を見ながら歩いている。90年代は人民服の人もまだ結構いた。


 食材から日用雑貨まであらゆるものが露店で売られている


 長江路のごついゲート


 幌付きの軍用車両?


 道端で中国将棋をする人々


 煉瓦造モルタル塗り。少々老朽化した建物も多い。

 地方都市ではちょっと郊外へ行くと牛やアヒル、豚もいる。

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