第二鉄鋼ビル

第二鉄鋼ビル
所在地:千代田区 丸の内1-8
構造・階数:SRC・9+B2+R2
建設年:1954(昭和29)
解体年:2013(平成25)
備考 :当初は8階建て。1969(昭和44)に9Fを増築。
Photo 2009.1.18

 第一鉄鋼ビルの南側、同じく外濠通り沿いにあったオフィスビル。このあたりの外濠通りの一部とこの建物の敷地は、かつては江戸城の外濠だった場所。第二次大戦後に被災した建物の瓦礫などで外濠が埋められ、そこにこのビルは建てられている。

 第一鉄鋼ビル同様、当初の建物は絶対高さ規制下で8階建てで建てられ、建築基準法が容積率制に移行した後に9階が増築されたようだ。
 第一鉄鋼ビルと合わせて長い壁面を見せていたが、2013年に解体。跡地に新築された鉄鋼ビル南館(20F+B3F+RF)は、6〜19Fがサービスアパートメントとされ、オフィスだけではない街並みとなっている。

鉄鋼ビルディング - Wikipedia

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人民広場(旧 大同広場)の周囲の建物

1ヶ月ほどしたら1995年9月の位置に移動します。

9月7日(木)長春 曇のち晴れ

14:30〜15:15 人民広場(旧 大同広場)の周囲の建物。

 広場は6つの街区に囲まれている。広場が新京の中心地として位置付けられたこともあって、この周囲には、新京そして満州国における重要な建物が建てられていた。それらのうちのいくつかは戦後も共産党の建物などとなっている。

 ただ、満洲国時代に完成したのは6街区のうち4街区、第一庁舎(新京特別市公署)、第二庁舎・首都警察庁、満州電信電話株式会社本社、満州中央銀行総行で、残りの2街区は着工もされずに終わったという。


旧 満州電信電話株式会社本社

旧満州電信電話株式会社本社

旧 満州電信電話株式会社本社
所在地:吉林省 長春市朝陽区 人民大街2599号
構造・階数:RC・4+B1+塔屋
建設年:1935年
備考 :満洲電信電話 - Wikipedia
    長春市市級文物保護単位

 人民広場の西側は満州電信電話株式会社。同社が本社を大連から新京へ移転したのに伴い建てられたもの。Wikipediaに掲載されている全体写真では、塔屋がある中央の玄関部分を中心としたシンメトリーで堂々とした建物。幅が広い大きな建物なので、ロータリー側からでないと全景を納められなかったようで、私の写真では塔屋と右半分しか写っていない。
 現在は、中国聯合網絡通信(中国聯通 / China Unicom)長春市分公司として使用されている。


 満州電信電話株式会社本社  出典:Wikipedia

旧満州国 第二庁舎・首都警察庁

旧満州国 第二庁舎・首都警察庁

旧満州国 第二庁舎・首都警察庁
所在地:吉林省 長春市朝陽区 人民大街2627号
構造・階数:RC・2+塔屋
建設年:1933年
設計者:相賀兼介
備考 :中央の塔屋は国共内戦時に損壊したため、往時とは異なる。
    吉林省文物保護単位

 人民広場西南側は、満洲国初期に「第二庁舎」として建てられ、のちに「首都警察庁」として使用された建物。
 人民広場周辺で現存する最も古い歴史的建築物で、完成後まもなくは司法部と外交部が共同で利用していたが、後に首都警察庁の建物とされた。外壁は黄色系のタイル張りで、屋根に緑色の瑠璃瓦を載せた満洲式となっている。

旧満州国 第二庁舎・首都警察庁
 旧満州国 第二庁舎  出典:Wikipedia

 Wikipediaの写真と比べると、中央の塔屋が現在は低くなっていて装飾も簡易になっている。これは戦後の内戦時に損壊したためという。
 建物は戦後、 長春市公安総局、長春市警察局が利用したが、1946年3月にソ連軍が長春から撤退した後、国共内戦で国民党軍と中国共産党軍が長春を奪い合った(長春攻防戦)際に、戦火で塔屋などが損壊。その後、物資の不足もあって簡易な修復で済ませたため、塔は低くなったままなのだという。

 その後は長春市公安局・国家安全局などとして使用されてきた。現在は吉林省文物保護単位として保護されており、2025年には吉林省警察博物館への改造が発表されている。


旧満州国 第一庁舎(新京特別市公署)

旧満州国 第一庁舎

旧満州国 第一庁舎(新京特別市公署)
所在地:吉林省 長春市南関区 人民大街2626号
構造 :RC+煉瓦
階数 :2+B1+塔屋2
建設年:1933年
設計者:相賀兼介
備考 :建て替えのため1996年に解体され現存せず

 広場東南側にあった建物で、第二庁舎同様、満洲国の初期に計画、建設されたもの。第一庁舎も戦後の国共内戦における1946年の戦闘で大きく損傷し、戦後に簡易修復されたそうで、中央の塔が満洲国時代より低いのはその簡易修復のためのようだ。

旧満州国 第一庁舎
 旧満州国 第一庁舎  出典:Wikipedia

 戦後は中国共産党長春市委員会などの機関として長く利用されていたが、建て替えのため1996年7月に爆破・解体された。跡地には現在、近代的な新しい庁舎ビルが建てられている。


吉林省賓館

吉林省賓館

吉林省賓館
所在地:吉林省 長春市南関区 人民大街2598号
構造 :RC
階数 :4+塔屋
建設年:1957
設計者:吉林省建築設計院

 広場東側の街区にあるホテル。現在、この吉林省賓館がある街区は、満洲国時代は満洲重工業株式会社の事務所の建設予定地だったそうだ。しかし戦争のため財力が戦時方面に振り向けられ、建物が着工されないまま満洲国崩壊を迎えたという。

 戦後、新中国によって建てられたこの建物は、鳥が羽を広げたようなシンメトリーな形(左側が人民広場に面した正面)。人民広場東側のランドマークとして維持・活用されており、市の重要な歴史的建築「十大建築」の一つとされている。

吉林省賓館

 日本では90年代にはもうほとんど見かけなくなったアドバルーンだが、この頃の中国ではまだ健在だった。


工人文化宮

工人文化宮

工人文化宮
所在地:吉林省 長春市南関区 人民大街2302号
構造・階数:RC・5
建設年:1958
備考 :長春市市級重点文物保護単位

 広場北東側の街区にある施設。現在、工人文化宮があるこの街区は、満洲国時代は満洲興業銀行の事務所の建設予定地だったそうだ。しかし戦争のため財力が戦時方面に振り向けられ、これも建物が着工されないまま満洲国崩壊を迎えたという。

 戦後、新中国によって長春市民のための文化・娯楽施設としてこの建物は建てられた。この建物も街区の形に沿って鳥が羽を広げたようなシンメトリーな形をしている。このため正面から見ると堂々とした建物だが、外部には中国風の装飾などはあまりなく、さっぱりした印象。

海外の建物と街並み
#古い建物 中国  #長春  #近代建築  #官公庁
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第一鉄鋼ビル

第一鉄鋼ビル
所在地:千代田区 丸の内1-8
構造・階数:SRC・9+B2+R
建設年:1951(昭和26)
解体年:2013(平成25)
備考 :当初は8階。1970(昭和45)に9階を増築。
Photo 2006.1.28

 第一鉄鋼ビルは戦後の1949年に着工、1951年竣工。第一、第二鉄鋼ビルが建てられたのは、江戸城の外濠を戦災の瓦礫で埋めた場所で、外濠通り沿いに南北に長く連なる姿を見せていた。1958年に西側を増築、更に1970年に9Fを増築したという。9階部分の外壁や窓が異なるのは増築のため。

 周辺のビルも似たような時期に建てられたものだったが、2000年代になるとそれらは次第に建て替えられていった。


 Photo 2009.1.18
 ※ 元写真があまりにも眠い画像だったので、AIで明るさや空の様子を調整しました。
   建物や車などの改変はありません。

 1枚目写真の時は、背後には丸の内トラストタワーN館(19F、約100m、2003年竣工)が完成しているだけだったが、その後3年のうちに次々に超高層ビルが完成し、2枚目写真の2009年時点には、グラントウキョウノースタワー(左側、42F、約205m、2007年竣工)、サピアタワー(右後ろ、35F、約166m、2007年竣工)、丸の内トラストタワー本館(中央左、37F、178m、2008年竣工)が背後に建ち並ぶ状態になっていた。

 この後、都市再生特別地区の指定を受け、2013年から新ビルの建設が始まり、2015年に26階建ての新しい鉄鋼ビルディング(本館)が完成している。

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第一鉄鋼ビル/丸の内1丁目 | 昭和回顧録 建築編

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日本大学理工学部 9号館

日本大学理工学部 9号館
所在地:千代田区 神田駿河台3-11
構造 :SRC
階数 :12+B2+R2
建設年:1972(昭和47)
解体年:2014(平成26)
Photo 2014.2.21

 9号館は、5、6号館よりは少し後の時代の建物。写真奥にわずかに見えている6号館と、左手前、写真の外にあった5号館の間に建っていた。容積率制に移行した後に造られた高層の校舎で、柱や窓枠が垂直線を強調したものになっている。道路側は柱の間の少し引っ込んだ位置に梁が入ったグリッド状のファサードとしていて、装飾がほぼない端正で合理的デザインの校舎建築となっていた。
 また、入口わきの黄色のオブジェ(排気塔?)は、全体的にモノトーンな外観のなかで、一つのアクセントになっていた。

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 日本大学理工学部 1号館、 5号館、 6号館
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日本大学理工学部 6号館

日本大学理工学部 6号館
所在地:千代田区 神田駿河台3-11
構造・階数:RC・5+R
建設年:1961(昭和36)
解体年:2014(平成26)
Photo 2014.2.21

 6号館は5号館と同時代に完成した校舎で、こちらも打放しコンクリート(保護のため塗装はされているが)の柱梁の外観を持つモダニズム建築。外階段を上がった2階がこの校舎のメインの入口になっていたようだ。

 耐震性を考慮したのだろう。1、2階は小さな正方形の開口部になっている(後年に耐震補強したのかもしれない)。開口部まわりの壁面は赤っぽくされていて、無機質な建物の外観にちょっとしたアクセントを与えていた。


 Photo 2014.2.21

 3〜5階でL字型に張り出すベランダ・バルコニーは、側面を金属製の柵にしていて軽快な感じ。柱は下層に掛かる荷重などを考慮して下層階から階ごとに少しずつ細くなっていて、それが繊細な印象も与えている。


 6号館と9号館の跡地に完成したタワー・スコラ(南棟)
 Photo 2021.4.12

 通りの南側には前項の5号館と、この6号館、そして9号館が建っていたが、3棟は解体されて、跡地はタワー・スコラ(南棟、2018.7竣工)とその公開空地となっている(5号館の解体と公開空地の整備完了は2019.7)。

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 日本大学理工学部 1号館、 5号館、 9号館
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日本大学理工学部 5号館

日本大学理工学部 5号館
所在地:千代田区 神田駿河台3-11
構造・階数:RC・9+R
建設年:1959(昭和34)
解体年:2018(平成30)
Photo 2014.3.16

 日大理工学部、神田駿河台キャンパスの本郷通り沿いにあった校舎。


 Photo 2017.2.28(以下の写真は全てこの日)

 建物を支える柱は、荷重を考慮して下部が太く上部に向かって細くなる形で、上方へ力強く伸びる姿はモダニズム建築らしい造形。

 1階のピロティ通路には、竣工年が大きく記されていた。

 入口部分の壁面には抽象的なアート作品(作品名、作者、素材等は未把握)があり、校舎のデザインにアクセントを与えていた。

 食堂・売店の入口わきにも同様のレリーフがあった。尖った形を多用したデザインは、理工学部が先鋭的であることを期待されていることを示しているのだろうか。

 2008年には耐震改修を含むリノベーションが行われるなど、60年近くにわたって使い続けられていたが、隣接地(1枚目写真奥)に高層の新校舎「タワー・スコラ」(南棟)が完成した後、解体された。

 解体後の跡地は、タワー・スコラの公開空地となっている。また、レリーフは新しい建物内に移設されているという(現状は未把握)。

日本大学理工学部・大学院理工学研究科 - Wikipedia

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 日本大学理工学部 1号館、 6号館、 9号館
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東京新住友ビルディング

東京新住友ビルディング
所在地:千代田区 丸の内1-3
構造・階数:SRC・12+B3
建設年:1959(昭和34)
解体年:2012〜13(平成24〜25)
備考 :当初は9F。1971(昭和46)に12Fに増築
Photo 2009.1.14

 日比谷通りと永代通りの交差点に面して建っていた大型のオフィスビル。建設当初は絶対高さ規制下で、9階建て、軒高31mだったようだが、容積率制に移行したのちに増築されたそうだ。角地の敷地いっぱいに12階が建つ姿は迫力のあるものだった。

 外観は3階以上の各階に水平の連続した庇を出し、腰高から上の大窓と下側の小窓が全面に並ぶモダニズムオフィス。各窓が縦に2分割されて見えていたので、横引きのサッシで窓を開けることもできたのかもしれない。合理的に設計されているので装飾は全くなく、おもしろいとか魅力的とかいう建物ではなかったが、大手町ならではの大型オフィスビルだった。

 大丸有エリアに勤めていたりはしていないので、大手町界隈の建物にはそれほど馴染みはなく、特段の思い入れがあるわけでもない。建物内の様子を知らないことも多いが、界隈を歩くたび、大きくて立派な建物が多いなぁといつも思っていた。

 2000年代になるとこのエリアの建物は次々に建て替えられていった。もともとは大きな建物が1街区に2、3棟あることが多かったが、建て替え後はそれらがまとめられて巨大な超高層ビルになったりして、以前の面影が全くなくなり、訪れるたびに街の様子が変わっていくのには驚くばかりだ。

 東京新住友ビルは単独で建て替えられて2015年に三井住友銀行東館となったが、やはり超高層化して、29階、地下4階のビルになっている。

三井住友銀行本店ビルディング - Wikipedia
東京新住友ビルディング - Wikipedia

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東京国際郵便局

東京国際郵便局
所在地:千代田区大手町2-3
構造 :SRC
階数 :8+R
設計 :郵政省建築部(武田礼仁)
建設年:1968(昭和43)
解体年:2015(平成27)
備考 :東京国際郵便局は2005年10月10日に江東区新砂に移転。2007年、民営化に伴い郵便事業東京国際支店と改称。近接の逓信ビルと共に解体。
Photo 2014.4.6

 郵政省建築部には小坂秀雄という方がいて、各階の庇が水平に張り出すデザインを生み出したそうで、この建物は同氏の退官後、この「庇の建築」の路線を継承したものの一つだそう。屋上に立つ電波塔とともに、大手町の一角で親しまれていた建物。

 南側にはその小坂秀雄氏が設計した東京郵政局ビル(東京郵政局・関東郵政局)と逓信ビル(逓信総合博物館)があったので、ここには水平庇が各階に張り出した建物が3棟建っていた。


 Photo 2014.4.6

 南側に東京郵政局ビルがあったので、以前は南側立面を正面から見られなかったが、それが解体された後は少し離れた位置から見えるようになっていた。屋上の出入口・機械室にも小さめの庇があって他の階のデザインと合わせられている。


 Photo 2014.4.6

 手前左が逓信ビル。中央の空地は東京郵政局ビルの跡地。右側、赤白の塔があるのが東京国際郵便局。後方の超高層ビルは左から東京サンケイビル(その左後ろに読売新聞本社ビルがわずかに見えている)。その右側が大手町フィナンシャルシティのサウスタワーとノースタワー。中央の御影石張りの建物はNTTコム大手町ビル別館。

 再開発で建ち並ぶ周辺の超高層ビル群と比べると、逓信ビルと東京国際郵便局の中層のボリュームと水平の庇のデザインは対照的だ。ガラス張りの超高層ビルに囲まれながら、存在感を保っていたことがうかがえる。


 Photo 2014.8.21

 中央線の車内から見た解体直前のようす(車内の蛍光灯が反射して写り込んでいる)。
 近くで見るとやはり各階の床が張り出す姿が水平線を強調していて、建物を印象付けている。外周の柱は丸柱で、横長の窓にはそれぞれの中ほどに縦のルーバーが入れられていて、細かい部分もモダンだった。
 また、逓信ビルと東京郵政局ビルの平面はシンプルな長方形だったが、東京国際郵便局は敷地の北東側に日本橋川があったため、敷地形状に合わせて北東側がカットされたような平面形になっていた。写真でも右側の角は直角ではない。

 東京国際郵便局が江東区へ移転した後は空きビルになっていたが、その後、一帯が建て替えられて、跡地には大手町プレイスが完成している。

東京国際郵便局 - Wikipedia
東京国際郵便局/大手町2丁目 | 昭和回顧録 建築編
旧・東京国際郵便局 | 収蔵庫・壱號館

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人民広場(旧 大同広場)

1ヶ月ほどしたら1995年9月の位置に移動します。

9月7日(木)長春 曇のち晴れ

14:20 人民広場(旧 大同広場)とその周囲の建物を見る。

 大同広場は長春駅の駅前から2kmほど南へ行った先にあり、市の中心的な場所に位置付けられている。広場は直径300m、その外周は約1kmの大ロータリーとして1933年から整備された。
 広場からは6本の道が放射状に伸びている。広場を挟んで南北に伸びる旧 大同大街(現 人民大街)は、1938年頃までに整備され、新京(長春市)のメインストリートとなった。

 ロータリーの内側は公園緑地になっていて、中央には飛行機を上に載せたモニュメントが建てられている。

人民広場(旧 大同広場)

ソ連対日戦戦没者記念塔(ソ連軍烈士記念塔、ソ連対日戦勝記念塔)
所在地:吉林省 長春市 人民広場
建設年:1945.11.7

 現地を訪れた時には「ソ連対日戦勝記念塔」と聞いていたが、改めて百度地図を見たりChatGPTで中国での呼び名を確認したところ、中国においては「ソ連赤軍烈士記念塔」となっているそうだ。似てはいるが、ただ勝ったことを記念するだけではなく、その際の戦没者を顕彰する碑なのだという。また、この碑は中ソの友好を記念するものでもあるそうだ。ただ、長春のシンボル的な広場にソ連が建てた碑が聳えているのには、ちょっと違和感がある。

 確かに満洲国を崩壊に追い込んだのはソ連が対日戦を始めて、傀儡国家の満州国に攻め込んだためなので、その旧首都に戦勝記念塔や顕彰碑が建てられるのは理解できる。ただ、戦争終結から2ヶ月(ソ連が言うところでは戦争が終わったのは9月になってからなので)のうちに記念碑を建てたというのは、妙に素早い気がしてしまう。
 1945年末には長春市政府が設置され、1946年4月にはソ連軍が撤退して、長春は中国側へ引き渡された。中国ではその後、国共内戦が起こってしまうのだけれど、それにしても戦後1年のうちに満州・長春(旧新京)は中国の人たちの街になるわけで、その直前、暫定的にソ連軍が占領していたわずかな期間にこの記念塔が建てられていたのには少々驚かされる。

 ソ連は旧満州を自国の領土にしようとは考えておらず、暫定占領後は中国に返還することにしていた。ただ実際は、日本に代わって鉄道・港湾・軍事面で特権的地位、権益を確立したいと考えていたそうだ。戦勝国として早速我が物顔で、ソ連が戦闘して国や都市を解放したことを記念する塔を街の中心的な広場に建てて帰って行ったわけで、日本は戦前にこの地域でいろいろやらかしていたので、全く大きなことは言えないのだけれど、ソ連というのもなんだかなぁと思わせられるのだった。

人民広場(旧 大同広場)
 交通事故? 交通トラブルと野次馬たち

 ロータリーの道ではトラックが停まっていて、運転手と思しき人などが大声で喧嘩していて、野次馬も集まっていた。中国の人は老若男女、みな大声で喧嘩をする。でもって野次馬が集まって火に油を注ぐ形になったりしているのも何回か見かけた。私などはこういうのを見るとすぐに腰が引けて後退りしてその場を離れてしまう。これがどれだけの間続くのかは知らないが、後々考えるとみんな一生懸命なんだな、と思ったりもするのだった。

人民広場(旧 大同広場)
 人民広場(旧 大同広場)

 広場の方では多くの人がお喋りをしていた。ここにはベンチなどはなく、みなフェンスに腰掛けたり立ってぶらぶらしていた。

海外の建物と街並み
#長春  #広場  #公園  #モニュメント 
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逓信ビル(逓信総合博物館)

逓信ビル(逓信総合博物館「ていぱーく」)
所在地:千代田区大手町2-3
構造 :SRC
階数 :8+B1+R
設計 :郵政省+小坂秀雄
建設年:1964(昭和39)
解体年:2014〜15(平成26〜27)
備考 :逓信総合博物館は2013年8月末で閉館
Photo 2008.12.21

 Wikipediaによれば、逓信総合博物館は「郵政省、日本電信電話公社(電電公社)、国際電信電話株式会社(KDD)、日本放送協会(NHK)による共同運営の博物館」だったそうだ。つい、郵便関係の博物館のように思ってしまうが、逓信省(後の郵政省)の所掌を考えると広い範囲をカバーしていたのも納得できる。

 設計は、この2年前に完成した隣接の東京郵政局ビル(東京郵政局・関東郵政局)と同じ小坂秀雄氏で、外観はそっくりと言ってもよかった。二つが並んでいた時代の様子を撮っておけばよかったとつくづく思う。郵政省関連の建築でしばしば見られる、庇が各階にしっかりついたデザインが印象的。

 逓信総合博物館「ていぱーく」があったのは3階までで、上の方には日本電信電話の本社があったそうだ。設計時にそのあたりは決まっていたのだろう。3階まではほとんど窓がない。

 玄関前には『陽甲(ようこう)』清水九兵衛 作、が設置されていた。
 1992年に制作されたアルミニウム製の抽象彫刻で、逓信ビルの完成当初はなかったようだが、個人的には博物館の入口近くにあったこのパブリックアートも記憶に残っている。なお、この彫刻は、跡地再開発でできた大手町プレイス・イーストタワーの東側の公開空地へ移設されている。

 2011年初めからは外観の補修工事が始まり、全体が足場で覆われた。外観を補修していたので、まだすぐには建て替えられないと思っていたが、2013年には逓信総合博物館が閉館になり、建物も2014〜15年に解体された。

 逓信ビルの跡地には大手町プレイス ウエストタワーが2018(平成30)年に完成した。建物の低層部には水平な庇が付けられていて、かつてのビルの記憶を継承するデザインとされている。

逓信総合博物館 - Wikipedia

逓信ビル/大手町2丁目 | 昭和回顧録 建築編

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