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…なってしまった気がする。 撮影時に既に怪しい状態だったので、その後、どうなっただろうかと少し気にはなっていたのだが、やはりこのような姿の建物をわざわざ何度も見に行く気は起こらなかった。そうこうする内に時間が経ち、最近になってたまたま通りかかったら、影も形もなくなっていた。装飾がある頃に見ておきたかったと改めて思う。 旧川崎第百銀行/新川1丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス ブログ内タグ一覧
…、隣接の東京大学医科学研究所の方に尋ねたところ、既に港区の所有管理下に置かれているとのこと。建物を残しながら別の用途に用いることが検討されているそうだ。港区の関係者も時々視察等で訪れているというが、改装等にお金がかかることもあり、現時点では利用再開の予定日は不明らしい。ともあれ、建物が存続することになったようなのでひとまず安堵した。整備が済んで再オープンしたら、近くまで行ってよく見てみようと思う。 Wikipedia > 国立公衆衛生院 #古い建物 港区 #近代建築 #研究所
…ることがなければ、ひとまとまりの建物だとはおそらく気づかなかっただろう。 なお、右端の新橋亭本社と、その更に右側(写真外)の新橋モダン食堂のビルもほぼ同時期に解体され、現在、建て替えが行われている。 ★近代建築探訪★ > 新橋のビル CiNii > 復興建築助成株式会社による関東大震災復興期の「共同建築」の計画プロセスと空間構成に関する研究 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #商業系 #街並み 港区 #近代建築 #震災復興 ブログ内タグ一覧
…本社が置かれていたが、1969~77年には上野京成ホテルだったという。 Photo 2008.10.12 建て替え後はヨドバシカメラになったが、敷地形状が変わっていないのでこの建物もかなり薄い。 廃景録 > じゅらくビル(ネットが掛かる前、1993年の写真) 収蔵庫・壱號館 > 京成電鉄ビル(じゅらくビル)(1992頃の写真) 東京浪漫劇場 > モダン建築逍遥 > じゅらくビル(内部写真あり) Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #近代建築
…5-26 建設年:昭和初期 構造・階数:RC4 解体年:2003年 Photo 2002.4.7 東大の赤門前、道の反対側正面に建っていたビル。4Fのアーチ型の窓、1Fのアーチ状彫り込みなど、外観の装飾はそれほどなかったが、その立地のためか妙に記憶に残る建物だった。 廃景録 > 赤門ビル 中古建築愛好会 > 赤門ビル(建物の内部写真有り) 都市風景への旅 > 東京都文京区本郷5丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #近代建築 #オフィス
…は、野間道場という木造の剣道場があったそうだが、こちらも2007年に解体されている。 都市風景への旅 > 東京都文京区目白台2・3丁目 喫茶店で瞑想して、 銭湯で元気になる > 夏の記憶 1、2、3、4、5 まちかど逍遥 > 講談社旧館(東京歩き) のりみ通信 > 講談社第一別館(旧三井邸)解体 ―手塚治虫ゆかりの地がまたひとつ… 月刊旧建築 > 講談社所有の野間道場、解体へ Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #近代建築 #洋館・洋風住宅
…観と言ったらよいのだろうか。柱や方立に垂直の刻みが入っていて、縦方向のラインを強調している。ただ、屋上階の腰壁がぐるりと回されているので、全体はそのフレームの中に収まった感じになり、垂直線の装飾も個々の壁面内に収まり、全体としてはやや地味な感じで、かつやや重厚な印象だった。 ぼくの近代建築コレクション > 茅場兜電話局、創生社印刷所/富沢町 廃景録 > NTT茅場兜ビル Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス #公共施設
…詳細は知らないままでいるうち、数年前に建て替えられてしまった。 道路に近い場所にハーフティンバーの洋館部分があり、奥まった方は和風の佇まいだった。道路沿いの板塀が洋館部分に接していて、窓が目隠しされたようになっていたのが妙に記憶に残っている。 Web上ではあまり紹介されていないが、下記サイトによると1950年には個人宅だったようだ。 ぼくの近代建築コレクション > ニチレイ築地別館/築地2丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築
…の本社・本店は共に人形町で、この建物の場所とは異なるようだ。 どこかの時点で修繕したのか、2階から上が妙にきれいに見えたのが印象的だった。でもこの時点で、既に倒産したか、倒産間近だったようである。倒産して会社が退去した後、売却され、建て替えられたのだろうか。2000年には既に無くなっていた。 京樽本社/日本橋蛎殻町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Wikipedia > 京樽 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス
…見える方向が限られてきている。 カトリック神田教会も、以前は表通りからもう少し見えていたのだろうが、次第に、すぐそばまで行かないと見えない状況になっている。 2008年の写真では、教会の後方に新築の神田女学園が見えている。こちらは以前は低層だったためあまり見えなかったが、建て替えられて7階建てになり、見えるようになった。 東京新旧比較#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 千代田区 #古い建物 千代田区 #教会 #マックス・ヒンデル #近代建築 #ロマネスク ブログ内タグ一覧
…段は奥のエレベーターわきに隠れるようにあって全然目立たない。 Photo 2006.10.3 EV前から上階への階段 手動扉のEV 現在、上層階は一部しか使われていない模様。階段の奥は真っ暗。エレベーターの内扉(駕籠側の扉)は奥野ビル同様、蛇腹式だそうだ。 EV前のモザイクタイル床 Photo 2006.10.3 モザイクタイルの床も、剥げたりしてはいるが、今の空間にはない味わいを出している。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築
…のもっと有名な近代建築が次々になくなり、相対的に知名度が上がったのかもしれない。 せっかく知名度が上がった銀緑館だが、中央通りに面した松坂屋との一体的な再開発が計画されているとのことで、今後、数年の内に解体されるようだ。戦前からの銀座の雰囲気を残す建物がまた一つなくなるのは残念だ。 参考記事 街の風景 > 銀座散歩 > 銀緑館 Roc写真箱 > 銀緑館(ぎんろくかん) デジカメ散歩 > 銀緑館 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築
…log内の記事には背後(北側)からの写真が載っている。絵を描く際に間接光を取り入れるため、北側の屋根面に天窓があるのがわかる。 刑部人邸/アトリエを拝見する。 下落合を描いた画家たち・刑部人。 刑部人邸/アトリエを拝見する。 あと、いのうえさんの「漂泊のブロガー2」にも建物内外の記事がある。 刑部邸の見納め 芙美子邸と刑部邸 拙Blog既往関連記事 刑部人の風景画 刑部邸 1 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #近代建築 #洋館・洋風住宅
…する。 落合、中井界隈は大正期までは郊外の田舎だった場所。大正後期に目白文化村が開発・分譲され、震災後の昭和の初めには西武新宿線ができ、急速に宅地化が進んだそうだが、それでも緑が多い武蔵野の郊外住宅地だったのだろう。刑部邸は往時のそのような雰囲気を残すお家だった。 屋根部分 木製の窓が美しい。観音開きの雨戸にスリットが入り、美しい影を落としている。 刑部人の風景画 刑部邸 2 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #近代建築 #洋館・洋風住宅
…そうさせたような気がする。レトロ趣味と言ってしまえばそれまでだが、お店のイメージに非常によく合った建物だったのだろう。雰囲気のある室内の写真を撮り損ねたのが、今となっては非常に残念だ。 新しくできた新田ビルは、外観の一部に昔の新田ビルのディテールを残している。移転先としてそのような建物を選んだのは、お店のイメージを考慮した上での選択だったのかもしれない。 瀧山町ビル1 瀧山町ビル2 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #屋内階段
…丁目五番地」という住所が記されている。1928年(昭和3)のビル完成時、ここは京橋区瀧山町だった。瀧山町が銀座西になったのは、2年後の1930年(昭和5)だそうだ。一方、京橋区が日本橋区と合併して中央区になったのは1947年(昭和22)。銀座西の町名は1969年(昭和44)にまた変更されて現在の銀座になった。住居表示からすると、このプレートは1947年から1969年の間に設置されたことになる。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築
…。だが道路に面している1Fのお店7軒の内営業しているのは4軒で、残りは店が閉じられ板が打ち付けられている。 玄関を入ったところにある掲示板には移転のお知らせがいくつか貼ってあり、建物が老朽化し解体されることになったため移転しますと書いてあるものも中にはあった。またこの写真を撮った日には土地の測量らしきことも周囲で行われていた。諸々の状況を考えると全面閉鎖は意外に近いのかもしれない。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス
…り抜ける車はISUZUのジェミニのようだ。ISUZUはいつのまにか小型乗用車の生産をやめ、トラックなどのみの会社になったので、急速に私たちには馴染みのない会社になってしまった。80年代まではジェミニや117クーペなどが、街を走っていたものだが、経済の激しい移り変わりとともに、自動車の風景も変化していく。 Tokyo Lost Architecture 東京新旧比較#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 千代田区 #失われた建物 千代田区 #自動車 #近代建築 ブログ内タグ一覧
…ったものと思われるが、そうはならなかった。 贅沢な装飾があまりない中、斜め格子の色ガラス窓は、数少ない装飾。こういう部分だけでも残されると良いのだが、どうなっただろうか。 増築部分へ至る小階段? Photo 2006.1.19 撮影時の記憶が曖昧で、どういう目的の階段だったかよく覚えていない。しかし妙な段差を繋ぐ階段だ。 早稲田大学11号館 その1 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #早稲田大学 #大学 #近代建築 #屋内階段 #桐山均一
…いでもない。 14号館から、手前:12号館、中奥:11号館 Photo 2001.12.10 正面ファサード Photo 2006.1.19 ベース部分は御影石、ボディ部分は角柱の付柱が並び、トップ部分は3連のアーチ型窓。中央2階部分に、1階玄関ホール上部の円形の窓が少し見えている。 4Fのディテール Photo 2006.1.19 早稲田大学11号館 その2 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #早稲田大学 #大学 #近代建築 #桐山均一
…1(2006.01.21 入口付近など) 早稲田大学大隈講堂 その2(2006.01.24 大講堂・貴賓室) 早稲田大学大隈講堂 その3(2006.01.25 階段室と時計塔内部) 早稲田大学大隈講堂 その4(2006.02.16 内部の様子など) 早稲田大学大隈講堂 その5(2006.08.08 改修工事始まる) 関連記事 > 早稲田大学・大隈講堂へのコメント #古い建物 新宿区 #塔 #早稲田大学 #大学 #映画館・ホール #佐藤功一 #佐藤武夫 #近代建築 #重要文化財
…は思う。 設計の過程で旧建物を残すことにしたことに、黒川氏が激怒したという話も、どこかで見た。建築家というものは、やはり真っ新なキャンバスに絵筆をふるいたい人たちなんだろうな。 ところで、国立新美術館の目の前に、やけに細くて背が高いマンションが建っていてかなり気になった。あれは何?、なぜあそこに建ってるのかしら? (参考:「図説・占領下の東京」佐藤洋一、河出書房新社、2006) #新しい建物 港区 #失われた建物 港区 #古い建物 港区 #近代建築 #ミュージアム #黒川紀章
…るかと思ったのだが、写真が下記サイトなどにあるのみで詳細は不明。近代建築ではあるけれど地味だったためか、取り挙げている人は少ない。近代建築総覧を見ても建設年などが不明。昭和初期なんだろうとは思うが・・・。 ニッポン懐景録 > 新宿区北新宿・西新宿 都市風景への旅 > 東京都新宿区新宿 でもこういう状況に置かれて消えていった建物ってなんだか逆に気になる。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #近代建築 #街並み 新宿区 #銀行・保険 #旧街道
…壁面を持ち、派手ではないが特徴のある個性的な姿を見せている。 銀座の建物は、基本的なヴォリュームなどは似通っていることが結構多く、壁面の位置も揃っている。が、建物壁面のデザイン、表情は実に多様で、古いものから新しいものまで、さまざまな姿を見せている。越後屋ビルのように、周囲の建物と連続性を持ち、調和を保ちながら、多様性や個性を見せるのが銀座らしいビルなのではないかと思う。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス #商業系
… Photo 2007.1.23 道路の反対側から見ると、やはりいくつかの階は真っ暗だった。しかしテナントの約半数はまだ営業しており、今すぐ解体というわけではなさそう。具体的な工事計画等の掲示もなく、解体時期は不明。建て替えの意向が大家さんから出され、テナントが移転先を探したりしている状態なのしれない。 築75年余り。まだまだ現役で頑張れる気がしていたんだけど。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #街並み 中央区 #夕景・夜景
…て(されて)しまった。「ハイハイ、お店が出て行ったらすぐに壊しますからねー」という、ビジネスライクな感じ。中に入ってみようかとも思ったが、なんだか急に見たくない気になってそのまま帰ってしまった。 三信ビル その1 その2 その3 その4 Wikipedia > 三信ビルディング三信ビル/有楽町1丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #近代建築 #オフィス #夕景・夜景 #松井貴太郎(横河工務所) ブログ内タグ一覧
…った。西銀座ビルの時には、まだ銀座にはちらほら近代建築が残っていると書いたが、最近の銀座では、昭和初期の建物が次々になくなっていくような気がする。気づいたときには、後回しにせず撮っておかなくちゃいけないなと、今回も思った。 Googleで検索すると、秀吉ビルに関しては、なんだかかなり厄介な事情が絡んでいたようだ。いろいろな思惑に巻き込まれた末、80年近い歴史を持つ建物は消えていく。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス
…まだまだ現役みたいだなと思っていただけに残念だ。 日本橋横山町界隈を訪れる際には、いつもこのビルを見に行った。急速に開発が進む街というわけではなく、街の雰囲気も10年前とさほど変わらないようだったので、とりあえず安心していたのだが、界隈のランドマークとも言うべきこの建物が無くなるとは・・・。拠り所になるようなランドマーク的建物が無くなると、まちあるきの楽しみはまた一つ減ってしまう。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス
…などを見ると回効散という薬は載っている。街の薬屋さんなどでは見かけることは無くなったが、昔は割合にメジャーなお薬だったのね。 現在の製造・販売元は「龍角散本舗」なんだそうな。龍角散なら知ってるんだけどな・・。なんでも、私の小さい頃に商標権が龍角散に譲渡されたらしい。 薬の製造会社と聞くと、大きな工場やビルを想像してしまうが、回効散ビルヂングは、なんだか愛すべき街角の本社ビルだった。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス
…たこと、また中央上部には第一信用金庫の社章とおぼしきレリーフがあったことも分かる。 単なる商店にしては立派な外観だったので不思議に思っていたのだが、もともと銀行系の建物だったということで納得。戦後、病院になったり、居酒屋になったりと紆余曲折はあったが、それでも残り続けたのは幸運なことだと思う。 大江戸線が開通して、市谷柳町は交通も便利になった。オシャレなレストランとしてこれからも残り続けていって欲しい建物だ。 #失われた建物 新宿区 #近代建築 #銀行・保険 #商業系 #病院