#近代建築 の検索結果:

三信ビル その1

…ている。 日比谷公園角の交番付近から Photo 2003.3.26 屋上に通信用の鉄塔が建っていて、それも昔のオフィスビルを感じさせる。 頂部のアールデコデザインの華やかな装飾 Photo 2003.3.26 三信ビル その2 その3 その4 その5Wikipedia > 三信ビルディング三信ビル/有楽町1丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス #近代建築 #松井貴太郎(横河工務所) 2007.2.25

日赤東京支部

…物が建ち並ぶ街区にあって、北西角に一つだけ都庁関連ではない建物があった。周辺の建物が全て道路に沿った中庭型の建物であれば、きれいに揃った街並みだったのだろうが、都庁の第一本庁舎が前庭やピロティを持ったモダニズム建築となったことで、角地建築だけが唐突に残された印象になっていたのが逆に印象的だった。 日赤東京支部/丸の内3丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス #近代建築 ブログ内タグ一覧 2007.2.25

一橋大学一橋講堂

…の建物内に一橋講堂はある。 なお、当時の地図などを見ると「一ツ橋講堂」と記されていたりするのだが、下記「ぼくの近代建築コレクション」掲載の門の画像で「一橋大学一橋講堂」と読めるので、ここではこの表記を用いる。 ぼくの近代建築コレクション > 一橋講堂 建築士から見たマンションについての本音を公開します > 旧一ツ橋講堂 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #大学 #映画館・ホール #近代建築 ブログ内タグ一覧 2022.8.25 一部修正

桜門ビル

…たのだろう。同年中に解体され、翌年末には新しい建物ができたそうだ。 コーナーは丸く、窓台と庇の水平のラインが強調されている。日大本部と同時期の建物だが、こちらの方がやや新しい時代の雰囲気を感じさせるデザインだった。 2〜4Fはスクラッチタイル張り。 西側の通用出入口はアーチ型で、ここだけはやや大振りなデザインになっている。 桜門ビル/三崎町2丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #近代建築 #大学 ブログ内タグ一覧

日本大学本部(図書館)

…ったため、通りから見るとさほど大きさを感じさせない建物だった。 左手前:日大本部、右奥:桜門ビル 向かい側の桜門ビルと対になって建っていて、この一角には学生街らしい雰囲気が漂っていた。 東側、玄関上部のディテール 外壁はスクラッチタイル張り、細かい装飾はテラコッタ。石張りやモルタル塗りの部分もある装飾的な外観をしていた。 ぼくの近代建築コレクション > 日本大学本部 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #大学 #近代建築 ブログ内タグ一覧

誠文堂新光社

…されておったんかいな、という感慨に浸るのだった。長い歴史を持つ雑誌だから、建物のほうも長い歴史のあるものだったんだなぁと納得。 しかし、2005年の春に訪れたら、ちょうど解体し終わったところだった。階段室だけでも入っておけば良かったと後悔。 ちなみに現在、会社は文京区の本郷にあるそうです。 廃景録 > 誠文堂新光社 ぼくの近代建築コレクション > 誠文堂新光社 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス #近代建築 2012.2.25

名倉病院

…水に残る最後の近代建築病院だったが、都心で低層の病院を維持するのは、資産的にも設備的にも大変な時代なのかもしれない。 新しいビルの玄関まわりには旧ビルで用いられていたスクラッチタイルが貼られている。またこの新しいビルでは1Fのみが診療所(名倉クリニック)で、上層階はオフィスや賃貸住宅になっているそうだ。 廃景録 > 名倉病院 名倉病院/神田駿河台4丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #病院 #近代建築

日本医師会館

…て、しばし呆然としてしまった。 現在建っているNMF駿河台ビル(旧 NOF駿河台プラザビル)は、S+RC造の8F+B1Fで、1997年4月竣工。正確な解体年は未把握だが、1993年版の住宅地図では戸田建設の管理地になっており、既に解体されているので、1989〜92年頃に解体されたようだ。 ぼくの近代建築コレクション > 日本医師会館 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス #近代建築 ブログ内タグ一覧 2022.8.25 修正加筆

日本大学理工学部1号館

…8 新校舎では旧建物のファサードは全く残されず、全面ガラス張りの近代的なものに替わった。 Photo 2014.2.21 旧校舎の玄関部分のみが、玄関内のエレベーターホールに展示されている。イメージが全然違うから展示するだけにしたのかもしれないけれど、せっかくなら玄関として使えば良かったのに・・・。 廃景録 > 日本大学理工学部一号館 日本大学理工学部1号館/神田駿河台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション #失われた建物 千代田区 #新しい建物 千代田区 #大学 #近代建築

旧主婦の友社・お茶の水スクエア

…、日本大学がキャンパス再整備の一環として、カザルスホールを2010年3月末で閉鎖した。建て替えるのかどうかは不明だが、築20年ほどで次々に状況が変化するのには考えさせられてしまう。また、クラシックファンに評判が良かった室内楽専用ホールが失われたのは非常に残念。 Wikipedia > お茶の水スクエア Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #古い建物 千代田区 #新しい建物 千代田区 #オフィス #大学 #磯崎新 #ポストモダン #近代建築

明治大学記念館

…。 Photo 1998.6.27 超高層ビル化した建物の頂部にはドームが載っており、旧校舎のイメージの継承が図られている。また左側の翼部のイメージも残されている。しかし旧来の外壁は全く残されておらず、全面的に建て替えが行われた。 Wikipedia > 明治大学 明治大学記念館/神田駿河台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #新しい建物 千代田区 #高層ビル #大学 #近代建築 2007.2.25

JR東日本 神田変電所

…数:RC・3F 備考 :2003(平成15)解体 Photo 2000.6.3 真白なコンクリート建築。横連窓と水平なライン、丸いコーナー部などは、モダニズム建築の典型的意匠。JRの線路に隣接した場所に建っていて、その壁面からは架線に電力を供給する電線が道路上空にたくさん張られていた。 廃景録 > JR東日本 神田変電所 ぼくの近代建築コレクション > 神田変電所 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #工場 #近代建築 2012.2.25

寿ビル(東京時計商会、旧杏花楼)

…ベランダがついているのが目を引く。1990年頃まではすずらん通りには歩道上にアーケードがあり、建物のファサードがよく見えなかったが、その後、取り外されてこのような外観を見ることができるようになった。 調べてみると、杏花楼というのは中華料理屋だったとのこと。やや東洋趣味的な外観はそのためなのかもしれない。 ぼくの近代建築コレクション > 寿ビル 廃景録 > 寿ビル(杏華楼) Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #近代建築 2012.2.25

同和病院

…斜の瓦屋根が目を引く。玄関のステンドグラスが綺麗だった。背面にも個性的な窓が並んでいた。 建物裏側 Photo 1995.7.22 屋根裏状になった部屋があったのか、高窓があったのか分からないが、小屋根が付いていた。スクラッチタイルとスペイン瓦が印象的。 Photo 1995.6.3 廃景録 > 同和病院 ぼくの近代建築コレクション > 同和病院/神田淡路町2丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #病院 #近代建築 2014.6.16

会計検査院

…ては地味な玄関。 会計検査院前から文部省(写真奥右側)を見る。 昭和初期にできた官庁街の街並み。再開発後は高層ビルの街並みになる。 2007.2.25 文部省と一体的に再開発されて高層化され、2007(平成19)年秋に霞が関コモンゲートが完成。 会計検査院の建物は、玄関まわりが新しいビルの一部として再利用された。 会計検査院/霞が関3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス #官公庁 #近代建築

旧文部省(文部科学省)

…年坂に面したL字型部分を残して南西側は取り壊され、北西側の会計検査院と一体的に再開発が行われた。このため上3枚の写真に写っている部分は結果的に全て残されている。 左後方は霞が関コモンゲート東館。現在はここに文部科学省や会計検査院が入居している。旧文部省の建物は改装され、内部には展示室なども設けられている。 文部省/霞が関3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス #官公庁 #近代建築 #高層ビル

旧内務省庁舎・合同庁舎第二号館

…人事院や警察庁なども入居していたので、正式には合同庁舎2号館なのだそうだ。丸の内に残る戦前の官庁建築は徐々に減っていく。2003年末に文部科学省と会計検査院も一部は残ったが建て替えられ、残るは財務省のみ。 内政全般を扱っていた内務省に相応しい巨大庁舎建築。濃い茶色のスクラッチタイルが重厚さを醸し出していた。 ぼくの近代建築コレクション > 合同庁舎第二号館(人事院ビル) Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス #官公庁 #近代建築

桜田門派出所

桜田門派出所(丸の内警察署 桜田門警備派出所) 所在地:千代田区皇居外苑 1 建設年:1934(昭和9) 構造・階数:木・1 備考 :1993(平成5)建て替え Photo 1992.3.8 桜田門外、お濠端の可愛らしい木造派出所。撮影の翌年にガラスを多用した交番に建て替えられた。設備を適宜更新するだけでも良かったんじゃないかと思うのだが。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス #近代建築 #公共施設

丸ノ内野村ビルディング(旧日清生命館)

…め、新ビルの外壁にペタンと貼り付けたような感じ(事実カーテンウォール状に貼り付けているのだが。)になっている。旧建物の2〜6Fが新建物の2〜5Fになり、連窓のガラス壁面に替わっている。 大手町野村ビル・全景 Photo 2014.4.6 Wikipedia > 大手町野村ビル昭和回顧録 建築編 > 丸の内野村ビル(1)、 丸の内野村ビル(2)Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス #近代建築 #高層ビル #佐藤功一 ブログ内タグ一覧

日東ビル

…が、人気がなく廃屋のよう。2〜4階の外壁にはネットが掛けられており、靖国通り側の壁面には広告看板の取り付け金具だけが残る。黒ずんだ外観と窓の水平庇が異彩を放っている建物だった。使われているのか気になっていたのだが、ぼんやりしている内に、いつの間にか解体されてしまった。 廃景録 > 日東ビル ぼくの近代建築コレクション > 日東ビル、他/岩本町3丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #近代建築 #オフィス #震災復興 2014.6.16

岡野ビル

…野ビルは、その問屋街の東の方に建っていた。小規模だがなかなか端正なオフィス建物だった。ただ1Fは何軒かの店舗になっていて、安っぽい庇が無造作に取り付けられていて、せっかくのファサードの一部を隠してしまっていた。街角の小規模な近代建築が人知れず失われていくのは、少し寂しい。 廃景録 > 岡野ビル 両国郵便局、岡野ビル/東日本橋2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス 2007.2.25

エース証券東京支店

…の方が、妙な和風の意匠で変に迫力がある造形になっている気がする。またイオニア式のオーダーも柱に比して小さくて薄く、これもパッとしない。これなら完全にモダニズムデザインにした方がファサードはむしろ整う気がするが、そこは証券会社なので、やはりオーソドックスさが重要で、古典建築を引用したかったのかもしれない。 山丸証券、伊藤銀証券/兜町 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス 2007.2.25

第二帝興ビル

… 大通りに面した建物ではなかったが、半円アーチが並ぶ正面側はお洒落な感じだった。壁面は暗褐色のタイル張り。 建物背面 Photo 1995.6.20 裏側に回ると、避難用の鉄製バルコニーと非常階段が無造作に取り付けられていた。この姿もどこか外国のアパートメント風で格好が良かった。 廃景録 > 第二帝興ビル 第二帝興ビル/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #オフィス #近代建築 2007.2.25

新田ビル

…たことは確かだ。しかし、なぜ5階はコーナー部分にだけロンバルディア帯を中途半端に巡らしていたのだろう? またそこには、コーナー部分に塔屋が、昭和61年(1985年)に撤去されるまであったと記されている。でも昭和61年は1986年で、元のWebsiteがそこを誤記しているため、塔屋撤去の年が、85年なのか、86年なのかは残念ながら分からない。 新田ビル/銀座8丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築

三ツ喜ビル

…ブレル屋根の3F建て木造共同ビルで銀座では珍しい存在だった。ときどきTVで紹介されたりもしていたが、火災により焼失。あえなく消滅してしまった。 2022.2.6 追記 建物名を知らないままだったが、最近になって改めて各方面を見返していたら、下記に掲載済みだったことがわかったので修正。 ぼくの近代建築コレクション > 三ツ喜ビル/銀座7丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧 2012.2.6

交詢ビルヂング

…、全体のボリュームがかなり大きくなったため、相対的に縦に縮められたような印象となった。 Photo 2005.6.12 南側ファサードの一部のみが保存されて新ビルに活かされており、ここはバーニーズの玄関となっている。 Wikipedia > 交詢社 廃景録 > 交詢社 ぼくの近代建築コレクション > 交詢ビル(1/2)/銀座6丁目 交詢ビル(2/2)/銀座6丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #オフィス #近代建築 2007.2.25

足立ビル・三笠会館

…したところに建っていた、白地に小豆色の装飾が施された華やかなビル。右側は玄関とそれに続く階段室で、最上部には八角形の塔屋が載る。両側に巨大なオフィスビルが建ってしまい、窮屈そうな状況が続いていた。足立鉱業という会社のオフィスであり、また三笠会館というレストランとして利用されていたという。 廃景録 > 足立ビル 足立ビル/銀座5丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #オフィス #近代建築 2007.2.25

銀座東邦生命ビル

…ーダー柱が印象的だった。周辺の建物が建て替わっていく中、重厚な様式建築として貴重だったが、残念ながら解体。何故、このような建築遺産を貴重な文化的ストックとして残せないのか。非常に残念。地震が多いとか、銀座だからもっと高度利用したいとかいうことは知っているが、上手い方策はなかったのだろうか。 廃景録 > 東邦生命銀座ビル 銀座東邦生命ビル/銀座3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #銀行・保険 #近代建築

東京大学生産技術研究所(旧歩兵第三連隊兵舎)

…成19)年1月に国立新美術館は開館。 旧歩兵第三連隊兵舎の建物のうち、上記写真で残されていた一部分は保存されて別館となった。ただし写真の塔屋部分は残存していない。また北面部分は更に削られ、ガラス曲面の壁面とされた。結局、保存されたのは全体の1/10に満たない部分のみだった。 保存された一部分の現況 → 国立新美術館-3(都市徘徊blog) Wikipedia > 歩兵第3連隊 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #官公庁 #研究所 #近代建築

国税庁麻布分室

…く、1945〜50年の航空写真(国土地理院)には建物が写っている。 1963(昭和38)年の東京都全住宅案内図帳には「麻布税務署」、そして1980年代から90年代初めの頃までの住宅地図には「東京国税局麻布分室」として掲載されているが、その後、写真のような廃屋になり、1996年頃に解体された。現在、同所にはアートギャラリーが入居する3階建て建物が建っている。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #官公庁 #オフィス #近代建築 ブログ内タグ一覧