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…棟とも解体。跡地は最近まで更地になっていたが、Googleストリートビュー画像によれば、昨年秋にはなんらかの建物の建設が始まっているようだ。 水作果実店左奥の銅板張り看板建築の福市だんごも同時期に解体された。界隈には数軒の古い商店建築が建ち並んでいたが、やはり徐々に減少している。 水作果物店/築地2丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #木造店舗 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…の頃には外壁がツタで覆われていた。 しかし2016〜17年頃に解体され、その後はコインパーキング、現在はホテルになっている。 1990年代頃までは都心でも看板建築が建ち並ぶ街並みがそこそこあったが、その後次第にそれらは建て替えられ、現在はやはりかなり少なくなっている。トミー・リーアル・アドバイザー/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 #街並み 中央区 ブログ内タグ一覧
…郎の名は、1950年代後半の火保図で既に記されており、40年以上営業していたお店だったようだ。 ライフとS邸の2棟は2012年頃に解体され消失。桃太郎のほうは2005年頃に解体されたようだ。現在、一連の建物の跡地にはPMO神田司町というビル(2013年9月竣工)が建っている。ライフ、桃太郎/神田司町2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…あったが、角地にあり交差点に面したコーナー部にアーチ型の装飾があった。昔はアーチの下に店の名前の文字が縦書きで付けられていたのだろう。 なお、西隣(写真左手)の銅板張り看板建築はサカエヤクリーニングで、こちらは2022年7月時点で現存(Google ストリートビューによる)。大信不動産、サカエヤクリーニング店/神田多町2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…ったが、後期はラーメンとカレーの店になっていた。2021年10月に一時閉店した際はニュースにもなったが、翌年2月に少し離れた別の場所に移転して営業を再開している。 Photo 2009.2.14 Photo 2014.3.16松本家、栄屋、谷川印刷/神田多町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション古い建物と街並みをもとめて: 今なお現役! 神田のミルクホールTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…hoto 2005.3.27 美舟の方は、2000年頃には廃業してしまったのかもしれず、店頭にあった自販機も撤去されている。ただ洋品店の方は2010年頃までは営業していたようだ。その後は自販機コーナーになっていたが、5年ほど前に解体された。2022年時点ではコインパーキングになっている。あんくる、かわむら洋品店/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…られている。 Photo 2014.3.16 2014年に通り掛かったら、岡谷商事は銅板張りではなくトタン張りに改装されていた。ストリートビュー画像で確認したところ、2009年12月時点で既にトタン張りに替えられていた。古い建物と街並みをもとめて: 神田須田町の建物巡り岡谷商事、笹村商店/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…o 1996.2.20 中村邸同様、神田中央通りのひとつ西の裏通りに面して建っていた。 周囲はこの頃既にコインパーキングになっており、この建物もこの写真の後しばらくして解体された。だが長い間、銅板張りの2階屋(90年代以降は倉庫や車庫)として使われていたようだ。 少し東側の中央線の高架沿いには同名の会社があり、そちらは装飾的なモルタル看板建築になっている。Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…南側は1970〜80年代はSHKという会社(業種は知らず)、90年代は空き家だった模様。 妻面はモルタル壁で屋根はトタン葺きだったようだ。建設年代はわからないがギャンブレル屋根の3階建ては戦後はあまりないと思うので、震災後から昭和戦前期のものだったのではないだろうか。あんくる、かわむら洋品店/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…1959年修正の火保図では菊地歯科と信濃デンキと記されており、戦前から戦後にかけて医院がいろいろ替わっている。 その後、1973年には大京印刷・オクムラネーム店、1982年にはコーヒーびいんず・オクムラネーム店と記されている。びいんずという喫茶店はこの頃からのもののようだ。旧村木商店、びいんず/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 #夕景・夜景 ブログ内タグ一覧
…024.11.24 追記 下記『東京ふつうの喫茶店』によれば、喫茶店AIKOは「相子」という苗字の方が経営している店だったという。同書によれば、建物は関東大震災直後に建てられたもので、喫茶店は1954(昭和29)年に開店したという。 参考『東京ふつうの喫茶店』泉麻人 著、平凡社、2010年 支那、相子/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #木造店舗 #看板建築 #夕景・夜景 ブログ内タグ一覧
…10年ほど前に残念ながら解体された。池田屋ラシャ店/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション池田屋 | 千代田遺産神田須田町の銅板葺き看板建築 - 御光堂世界~Pulinの日記千代田区神田須田町~ありがとう、90年。神田銅板建築 柏山邸お別れ会 - 東京 DOWNTOWN STREET 1980's続・東京銭湯お遍路 看板建築。Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…ていないが、1973年発行の住宅地図には雅尚堂として掲載されている。 この写真の後しばらくのうちに解体されたようで、翌年の住宅地図には建物はもう記載されていない。ただ小林雅尚堂じたいはWebサイトがあり、近くの神田須田町1-19に移転して営業を続けているようだ。 モダン表装・表具の小林雅尚堂 山房商店、雅尚堂/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…主食販売所や食糧販売所といった表現は時代を感じさせる。 撮影時は既に廃業していたが、5年ほど前までは仕舞屋として建物が存続していた。2018年5月のGoogleストリートビューには建物が写っているが、2019年6月ではなくなっている。 ビルの谷間の銅板張り看板建築 千代田区神田神保町 - 東京ノスタルジア 【×】神田神保町三丁目(1) - ずぼら堂懐古録 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…の状況とほぼ同じになっている。撮影時点では酒店は既に廃業していたらしく、翌年発行の住宅地図では更地になっている。跡地には集英社神保町3丁目ビルが2005年2月に竣工した。 下記「ぼくの近代建築コレクション」内の記事には1987年時点の様子が掲載されている。当時は東側にも看板建築が並んでいたようだ。 尚輪社、他/神保町3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…っている。 看板建築は関東大震災後に関東地方で多く建てられたものであり、西日本には少ないと言われている。確かに銅板張りの看板建築はほとんどないのかもしれないが、モルタル看板建築は多少はあるのかもしれない。関東では戦後は最初から看板建築にするつもりで、妻入りで建てているケースが多いそうだが、この建物は平入り。長屋状だったものを改築したからこうなっていたのかもしれないと思ったりもした。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 福岡県 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…っていたが、アーケードを撤去した際に化粧直しをしたのかもしれない。妙にきれいなファサードだったのであまり古く見えず、古く見えるように新しく作られたもののように見えてしまう建物だった。 Google ストリートビューで確認したところでは2011年には既に更地になっている。このため川越の建築を紹介する最近の書籍にも紹介されていない。 川越大正浪漫夢通り公式ホームページ産業遺産・近代建築 > 川越市の近代建築日本国内の建物や街並み#失われた建物 埼玉県 #看板建築 ブログ内タグ一覧
…図には見当たらず、いつ頃からの店かは不明。 通り沿いに掲出されていた整備イメージの看板 モルタル看板建築の場所は、現在はPizzaHutの店舗になっている。また商店街振興組合は、右隣の弘前緑屋信用販売があった場所にある。2つの建物は隣りあっていて、かつてのモルタル看板建築のデザインを想起させる装飾を付けたファサードにされている。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #失われた建物 青森県 #街並み 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築 #木造店舗 ブログ内タグ一覧
…きい洋風の木造モルタル2階建て看板建築のような建物。銭湯なので奥にも長かったようだ。 通り沿いは店舗になっていて、銭湯の入口の右側は以前から理髪店(浅原理容所)。銭湯は中央付近の入口を入って奥へ進んだところにあったとかだったようだ。 建物は20年ほど前に解体されたらしい。Google ストリートビューで確認したところでは、花店の方は跡地に建つ建物で現在も営業しているようだ。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #銭湯 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…る。 間口の大きな木造モルタル看板建築。1Fはタクシーの車庫で、右側奥には2Fの事務所への階段が設けられていたようだ。1F前面には両サイド以外には柱がなく、構造的にはやや不安な感じ。 側面の様子からすると平入りだったようだが、ファサードが山型をしていたので、こちら側にも破風状のものがあったのかもしれない。 弘前タクシーが破産、負債総額15億円 | レスポンス(Response.jp)日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…ーチ型部分も造られていて、洋風デザインがかなり意識されている。化粧品店(もしくは洋菓子喫茶)という業態のイメージもあってのことだったのだろう。 沿革には1984年に土手町に天香堂ピアザを開店したという記載もある。従ってその頃以降、ここは倉庫になったのだろう。2003年発行の住宅地図では天香堂月極駐車場となっている。建物はこの写真の後、2003年までに解体されたようだ。 天香堂について日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…モルタル看板建築と2階建ての木造商店。左側の木造モルタル3階建てには上部に「長澤商店」の文字があるが、撮影時は既に別の店舗になっていたようだ。1993年の住宅地図には、ますや・東京ギフト・コータリーの3店の名が見られる。 この二つの建物も前項の徳永りんご商店などと共に解体され、跡地にはFestivalcity AUGA(アウガ)が完成した。また、ここの住所も新町1-3に替わっている。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築ブログ内タグ一覧
…築商店。妻入りの店舗だったようで中央部の壁が高くされていた。ただ、再開発目前の時期だったようで、周辺には空地が多くこの店も営業しているかどうか判らなかった。 この年か翌年に、右端、左端の建物と共に解体され、跡地では1999年9月に工事が始まり。2001年1月にFestivalcity AUGA(アウガ)が竣工した。徳永商店の西側の小路も廃止され、一角の住所は新町1-3に替わっている。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築ブログ内タグ一覧
…険特殊地図では「伊藤商店」、戦後の1952年版の同地図では「大東商事KK」と記されている。佐賀町一帯は第二次大戦時の空襲ではあまり被災しなかったようなので、もしかすると戦前に伊藤商店として建てられたものだったのかもしれない。住宅地図等では、1960年代は通信機関連の会社、1970年代以降は田中商店と記されており、建物は会社の事務所として変遷していたようだ。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…が既にあるようにも見えるが、名前などが書かれておらず既に建てられていたかどうかは不明。1952(昭和27)年版の火災保険特殊地図でも建物が描かれているが、当該部は空白。 東京都全住宅案内図帳 江東区(1962(昭和37)?)では石田商店、1973年版の住宅地図でも(株)石田仲介店と記されている。やはりかつてはなんらかの店舗として利用されていたもののようだ。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…同じなのにも関わらず、なぜか庇が違い棚にのようになっていたのが興味深かった。 2005年の住宅地図では「橋本商店」と記されている。一時期、別のお店になっていたのだろうか。写真の頃は仕舞屋となっており、その後、2018〜19年に建て替えられた。 旧金子商店 品川区南大井 - 東京ノスタルジア 金子商店/南大井1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 品川区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #旧東海道 ブログ内タグ一覧
…タイル張りのマンションやオフィスが大半になって、街並みとしては次第に退屈になってきた。普通の看板建築だったとしても、残されていれば街の中でワンポイントになって、街並みに彩りを与えるのではないかと思うのだが、住み手じたいが高齢化して、いなくなっていく状況では、このような建物の存続は難しいと言わざるを得ない。 2008.9.5に投稿した記事を再編集しました。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…年版ではその右側も仕舞屋となり、更に2008年2月のGoogle ストリートビューでは、それも無くなっている。 2022.12.21追記 1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図では、中央が玉川電気商会(電機でなはく電気と表記)、右側(南隣)は北村電池KKと記されている。 玉川電気、宝運道具製作所/東上野3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #商業系 #看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…ると下見板状に重なっているように見えるので、3枚のガラスがそれぞれ斜めになる突き出し窓だったのかもしれない。 鈴木食品工業は現在も営業しているが、残念ながらこの建物も2020年に解体された。 鈴木食品工業 宮本不動産/根岸3丁目 - ぼくの近代建築コレクション 【×】鈴木食品工業 - ずぼら堂懐古録 【鈴木食品工業】〜台東区の看板建築 - 台東区 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #商業系 #モルタル看板建築 #看板建築 ブログ内タグ一覧
…9.26 追記 1953(昭和28)修正作図の火災保険特殊地図には「菊屋テーラー」と記されていた。第二次大戦の空襲では幸運にも焼失を免れた地区なので、戦前の建物だった可能性もあるが、戦後の時点では洋服の仕立屋だったようだ。 平坂商事/台東3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Jun-Jun on Twitter:「ガスライターサービスセンター」 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #商業系 #モルタル看板建築 #看板建築 ブログ内タグ一覧