#失われた建物中央区 の検索結果:
中央薬局所在地:中央区 湊1-11-3構造・階数:木・2建設年:震災後〜戦前?解体年:2012(平成24)Photo 2006.4.7 鐵砲洲稲荷や区立鉄砲洲児童公園の東側の一角、鉄砲洲通りのひとつ東側の道沿いの街並み。 中央薬局は妻入の木造2階だったようだが、道沿いの1階と2階には庇が付けられており、また2階の両端には袖壁らしきものもあった。 中央左のギャンブレル屋根の3階建て(三葉企画)や、その左側のモルタル看板建築(品川練炭・今村商店)は建物が現存するが、中央薬局は20…
協友社所在地:中央区 湊1-7-6構造・階数:木・2建設年:震災後〜戦前?解体年:2020(令和2)Photo 2013.10.13 中央区湊1丁目の角地に建っていたちょっと洋風な建物。界隈は戦災では焼失しなかった地区なので、この建物も恐らく戦前に建てられたものだったのだろう。 賃貸だったのか年代によって入居している会社は様々に入れ替わっていたようだ。1962年時点では個人宅、1973年では長谷川運輸、1982年では日本商工出版販売所、1991年には(株)協友社と(株)協進精…
旧 六光通商所在地:中央区 八丁堀3-20-8構造・階数:木・2建設年:震災後〜戦前?解体年:2018(平成30)Photo 2014.9.30 八丁堀駅近くの小路に面して建っていた銅板張り看板建築。小さな商店が多く建ち並んでいたため、住宅地図で見てもどれが該当するのか実はよくわからなかった。 住宅地図では六光通商となっていたが、何を扱う会社だったのかは不明。同名の会社が八丁堀2丁目にあったので、そこに移転したらしいが、現在はそれもないようで、やはり詳細は分からず。 かつては…
友醸社所在地:中央区 八丁堀2-14-4構造・階数:木・2建設年:戦後まもなく?解体年:2020(令和2)Photo 2011.5.24 八重洲通り、八丁堀交差点のひとつ西の角地に建っていたタイル張り看板建築。蔦に覆われたタイル張りの外観と、黒地に金文字の袖看板が印象に残る。道の反対側からは、屋根がコンクリート瓦?で葺かれていることも見て取れる。 友醸社は醸造用機械器具を扱っている会社だそうだが、現在は入船1丁目に移転している。 Photo 2019.5.7 2、3枚目の写真…
原利商店(はらり商店)所在地:中央区 日本橋横山町10-6構造・階数:木・2建設年:戦後まもなく?解体年:2009(平成21)Photo 2005.3.27 横山町大通りが清杉通りに出るあたりにあったタイル張り看板建築。両サイドの壁が壁面より前に張り出していたが、装飾などはほとんどなかった。1階の軒先と窓上の庇は洋瓦で葺かれていて、庇の下部もタイル張りだった。 ネットで検索したところ、原利商店はユニフォームやワーキングウェア等を取り扱う卸問屋だそうで、現在は少し南の日本橋横山…
エトワール海渡第三ビル(旧海渡ビル、旧小松ビル)所在地:中央区 日本橋横山町6-10構造・階数:RC・6+R設計 :中村與資平建設年:1928(昭和3)解体年:2021(令和3)Photo 2005.3.27 静岡市役所や静岡銀行などを手がけた中村與資平が設計したオフィスビル。 最初はエトワール海渡ではなく、小松ビルとして建てられたという。当初は2階から上がタイル張り、1階は石張りで、軒先にはロンバルディア帯もあったとそうで、写真の頃の外観は当初とはかなり違っていたようだ。下…
東通工・ヤスダビルメン所在地:中央区 日本橋人形町3-4-11構造・階数:木・3建設年 :震災後〜戦前?解体年代:2004〜05(平成12〜17)Photo 1996.10.6 人形町交差点近くの横丁、前項の家の少し南側にあった木造ビル。3階建てビルのような外観だが、瓦屋根なので木造だったのではないだろうか。(火保図ではRC造で記載されているが) 写真の頃は2軒の事務所が入っていて、左側が(株)東通工、右側(株)ヤスダビルメン。 ヤスダビルメンで検索すると、日本橋蛎殻町2-6…
A邸・S邸所在地:中央区 日本橋人形町3-4-10構造・階数:木・2建設年代:震災後〜戦前?解体年代:1997〜99(平成9〜11)Photo 1996.10.6 人形町交差点近くの横丁に面して建っていたモルタル看板建築。建設年代はよく分からない。戦後の火保図や住宅地図を見ると、店舗や事務所ではなくずっと住居として複数の居住者の名が記されていて住宅だったようだ。だが建物の構えはなんらかの店舗や事務所だったような感じなので、もしかすると戦前期に建てられてその頃は店舗か事務所だっ…
多和田歯科所在地:中央区 日本橋人形町2-7-13構造・階数:木・2建設年:震災後〜戦前解体年:2021(令和3)備考 :右隣は三倉屋米穀(株)、2000〜06に消失Photo 1996.10.6 歯科医院の看板が出ているのだが数寄屋っぽい日本建築で、妙な医院建築だなぁと思っていた建物。いつも見ている下記「ぼくの近代建築コレクション」内の記事で、かつては「三河屋」という「待合」だったという記述を読んで納得。たしかに戦後まもなくの火災保険特殊地図(1947年)には三河屋と記され…
左から、喫茶RON・ナカジマパッケージ・みどりや靴店所在地:中央区 日本橋人形町1-19-5構造・階数:木・2建設年:関東大震災〜戦前期解体年:2020〜21(令和2〜3)備考 :Photo 1996.10.6 人形町交差点に面して建っていたモルタル看板建築。3軒ほどの店が入っていたが、構造的にはひとまとまりの建物だったようだ。下記「ぼくの近代建築コレクション」内の記事によれば、矢島洋品店として建てられたものだったそうだ。建設時期は関東大震災以降、昭和戦前期だろうか。 同記事…
旅館 鴻生館所在地:中央区 日本橋人形町1-16-1構造・階数:木・2建設年:震災後〜戦前解体年:2007(平成19)備考 :2007頃廃業Photo 1995.11.18 人形町の表通りのひとつ裏側の道に面していた旅館。木造モルタル看板建築で屋根裏3Fもあったようだ。モルタル看板建築だが、2階ベランダの手摺や軒先のデザインは和風。 いつも見ている下記「ぼくの近代建築コレクション」内の記事には、旅館経営者の親族がコメントを付けているが、創業年や建物の建設年についてはコメントし…
三田商店東京支店所在地:中央区 日本橋小網町17構造・階数:RC・2+R設計 :葛西萬司建設年:1930(昭和5)解体年:2022(令和4)Photo 2014.5.6 このビルの裏側にはかつては東堀留川があった。戦前の地図では日本橋川から北に入り込んだ船溜まり状の水路になっている。そしてこの建物も水路からの荷揚げを想定して建てられたものだったようだ。東堀留川は戦後の1949(昭和24)年までに、戦時中の空襲で焼失した家屋などの瓦礫で埋められたそうで、その後は水辺の建物ではな…
ArchitectS Office所在地:中央区 日本橋小網町16-16構造・階数:RC・3建設年:1929(昭和4)頃解体年:2022(令和4)Photo 2014.5.6 かつての東掘留川沿いに面して建てられていた建物。 下記リンク先の記事によると、最初はワコールの前身の和江商事が倉庫(兼事務所?)として建てたものだったそうだ。川沿いだったので荷揚げ設備もあったという。 戦後、建物裏の川は戦災で生じた瓦礫の処分のため埋められたが、建物はその後もいくつかのオフィス兼倉庫とし…
永楽屋所在地:中央区 日本橋蛎殻町1-6-5構造・階数:木・2建設年:1925(大正14)解体年:2022(令和4)備考 :2021(令和3)末に廃業Photo 2014.5.6 新大橋通り、蛎殻町交差点のそばにあったワイシャツの仕立て屋。通り掛かったのが休業日だったためこの時は閉まっていたが、3年ほど前まで営業していたそうだ。しかし2021年末に廃業し、その約1年後の2022年末に建物も解体されてしまった。 モルタル看板建築だがファサードは平面的ではなく、2階の窓まわりを後…
Coffee Shop Cotto、旧日比野運輸所在地:中央区 日本橋大伝馬町9-2構造・階数:木・2解体年:Cotto 2017(平成29)、日比野運輸 2013(平成25)Photo 2011.1.26 昔の日光街道・奥州街道のひとつ北側の通りにあった看板建築。角地にある喫茶店コットは1970年代の住宅地図にもその名が記されていた店。1990年代末の住宅地図では、コーナー部はスナックコット、その左側がコーヒーコットで、角地にある一つの建物に異なる業態の同名の店があったよう…
月島2丁目、清澄通り沿いの看板建築群所在地:中央区 月島2-13-10〜12構造・階数:木・2建設年:戦前、戦後まもなく解体年:1998(平成10)Photo 1996.5.25 清澄通りの北側から、南側に並ぶ建物群を撮ったもの。 写真左から、旧荒井喜久蔵商店、酒場ハクツル、旧築地運送、路地の右側が須藤モータース、旧喫茶・スナック「ブレイク」。荒井喜久蔵商店は出桁造り町屋。その他はモルタル看板建築。築地運送の建物は70年代は月島運送事業協同組合、80年代は月島将棋クラブなどに…
旧 白石パン店所在地:中央区 月島2-3-10構造・階数:木・2建設年:戦前解体年:2005(平成17)Photo 1996.5.25 月島2丁目、朝潮運河に近い通り沿いにあった銅板張り看板建築。 下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事によれば、戦後の1950年頃の火災保険特殊地図には「白石パン店」と記されているという。ただ、1970年代以降の住宅地図ではパン屋という記載はない。パン屋さんだったのは戦後しばらくの間だけだったようだ。 1995年にこの写真を撮って以降は訪れて…
月島1丁目の五軒長屋所在地:中央区 月島1-4-4〜5構造・階数:木・2建設年:戦前解体年:1997〜98(平成9〜10)Photo 1996.5.25 下記、「ぼくの近代建築コレクション」では、七軒長屋として掲載されているもの。 写真左端を見ると、南側の二軒との間に隙間がある。その南側二軒は一体の出桁造り町屋。一方、本写真のものは、銅板張りでファサードデザインも共通の五軒。このうち南端の一軒だけ棟がわずかに高いのがちょっと不思議だが、構造的には恐らく一体の五軒だったようだ。…
須田商店・石川家所在地:中央区 築地3-4-7構造・階数:木・2建設年:大正末期?解体年:2018(平成30)Photo 2006.4.7 東京メトロ日比谷線 築地駅の東側出口のそば、新大橋通りからひとつ東南に入ったところの角地にあった銅板張り看板建築。 下記、中央区のサイトの解説文にもあるように、看板建築ではあるが瓦屋根が見えているタイプのもの。建物を囲うように「看板」を立ててビルのようにした、というわけではなく、木造瓦葺の2階屋を簡易防火を意図して銅板張りにしたものだった…
フレッシュフルーツ水作(水作果実店)/理容サン所在地:中央区 築地2-10構造・階数:木・3建設年:戦前解体年:フレッシュフルーツ水作:2013(平成25) 理容サン:2006〜09(平成18〜21)Photo 2001.4.22 新大橋通りの角にあった果物店と理髪店。関東大震災後、戦前期に建てられた木造3階建てで背が高い店舗が並んでいた。 水作果実店の方はトタン張りで、看板建築と言ってよいかどうか微妙な建物。理容サンは一部銅板張りのギャンブレル屋根平入りだった。 Photo…
トミー・リーアル・アドバイザー、Y邸、中央金属所在地:中央区 新富1-4-3構造・階数:木・2建設年:戦前?解体年:手前2棟は1998〜2000(平成10〜12) :中央金属は2016〜17(平成28〜29)Photo 1995.6.20 新富町1−4の北東角から南方向に撮ったもの。下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事の2枚目写真とほぼ同じ向きで、私の方はその約1年後のもの。 角からトミー・リーアル・アドバイザー、その隣がY邸、その奥は新光貨物株式会社のビル、その奥が中央…
季節料理 多奈加所在地:中央区 新川1-18構造・階数:RC・2建設年:戦前解体年:2013(平成25)Photo 2001.6.17 日本橋川が隅田川に出る河口近く、湊橋のそばにあった元倉庫。戦前に建てられたようで、もともとは川から荷揚げしていたのではないかと思われる。戦後も1970年代までは倉庫として使われていたようだ。 1980年代の住宅地図から「たなか」ないしは「多奈加」と記載されていて、2000年代半ばまで料理店多奈加だった。2000年代後半から数年は「さ蔵」という…
松屋東別館(旧日本酸素本社)所在地:中央区 銀座3-7-9構造・階数:RC・4+B1+R(5階は増築)建設年:1927(昭和2)解体年:2023(令和5)Photo 2023.3.28 銀座松屋がある銀座3丁目で、中央通りのふたつ東側の通りに面してあったビル。日本酸素という会社の本社ビルとして昭和初期に建てられた。同社が戦後の1958(昭和33)年に移転した後は、いくつかの会社に利用され、その後は松屋の東別館となっていた。 『震災復興〈大銀座〉の街並みから−清水組写真資料』に…
京橋 天七所在地:中央区 京橋2-5-17構造・階数:木・2建設年:戦後再建?解体年:2016〜17(平成28〜29)Photo 2012.7.25 鍛治橋通りから北へ入ったところにあった天ぷらのお店。私は入ったことがなかったが、1892(明治25)年創業の老舗だったそうだ。 昔は京橋界隈にもこのような店構えのお店がたくさんあったのだろう。だが最近は高層のオフィスビルばかりになったので、裏通りでこのような店を見かけるとちょっとびっくりしてしまう。 奥には浜勢という料理屋の看板…
今川小路 所在地:千代田区 鍛冶町1-1・中央区 日本橋本石町4-2 構造・階数:木・2 建設年:1951(昭和26)頃 解体年:2017〜18(平成29〜30) Photo 2017.10.2 今川小路はJR神田駅の少し南にあったガード下の飲み屋街で、ここは昔、竜閑川という川がガードをくぐって流れていた場所。竜閑川は江戸時代に造られた堀割のひとつだが、第二次大戦後に瓦礫処理のために埋め立てられたという。そしてその跡地に1951年頃から近辺の居酒屋などが集まってガード下飲み屋…
…6階建て(一部7階)地下1階で、小学校の教室、職員室などと体育館、屋上校庭、認定こども園が入る複合建物だそうだ。体育館と一体化していて屋上に校庭があるところなどはいかにも都心の小学校らしいが、個人的にはどうも馴染めない・・。 東京都中央区立阪本小学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて 中央区立阪本小学校/日本橋兜町 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物中央区 #近代建築 #学校 #震災復興 タグ一覧
…」と書かれた青い看板は、このビルに付けられた袖看板ではなく、この建物とは別の自立した看板で、手前の狭い路地を奥へ行ったところにあるビルのものだったそうだ。 建物は隣接(左側)のビルなどと共に2019年に解体された。現在は日本橋横山町計画として、店舗・寄宿舎用途のRC造11階のビルが建設中で、2022年6月完成予定という。 【×】株式会社コジマ 荷受・発送部 - ずぼら堂懐古録 Tokyo Lost Architecture #失われた建物中央区 #近代建築 #商業系 タグ一覧
松坂屋銀座店 所在地:中央区 銀座6-10 構造/階数:RC/7+R1+B1F 建設年:1924(大正13) 解体年:2013(平成25) 備考 :2013.6.30 閉店 Photo 1992.3.8 関東大震災後の1924(大正13)年に建てられたのは、北側の約3分の1の部分だったようだ。「松坂屋銀座店の歴史」を見ると、当初はクラシックなビルでコーナー部に塔屋があったことが分かる。また、解説文には、黒光生命保険(現 第一生命)からのビル賃貸申し入れを機に出店を具体化させ、…
正金アパート 所在地:中央区 新富1-17 構造・階数:RC・5+R1 建設年:1931(昭和6) 解体年:2015(平成27).4 Photo 2006.1.28 内部に入ったのはいちどだけ。この頃はまだ居住者も多かったようで、昼間でも人の気配がかなりあり、むやみに歩きまわるのがためらわれたので、2階にしか行かなかった。他の方の記事では屋上階に洗濯場などがあったようだが、それは見ずじまいだった。上写真は2階の手前から。 2階 中廊下型で中庭側にも数軒があったようだ。ピンクの…
正金アパート 所在地:中央区 新富1-17 構造・階数:RC・5+R1 建設年:1931(昭和6) 解体年:2015(平成27).4 Photo 2006.4.7 新大橋通り沿いに威容を見せていた昭和初期のアパート。正金アパートについては現存していた2013年にいちど採り上げていたが、その後、解体されてしまったので、未掲載の写真も含めて改めて記事化する。 新大橋通りに面した1Fには店舗が入居していたいわゆる下駄履きアパート。上写真の時点ではまだ多くの店舗が営業していた。2〜5…