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…13年後半に解体されて建て替えられた。カフェゆうは新しい建物で引き続き営業している。 Photo 2010.9.29 少し離れた場所から見ると、後方にギャンブレル屋根の屋根裏があったことが分かり、この一角の2階建ての中ではやや大型の建物だった。 なお、手前は次項の「あさひや」 近藤電気商会、他/根津2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #看板建築 #モルタル看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…左奥側から九ちゃん(居酒屋)、森永牛乳販売店、ピッコロ(喫茶店)だったが、写真の頃にはピッコロは既に店を辞めていたようだ。 3軒続きで1階の瓦葺き軒庇が連続している。洋風のモルタル看板建築でこのような形になっているのはちょっと珍しい。また、3軒のうち北端の店だけ2階が凸型になっているのもおもしろい。 九ちゃん、他/根津2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…半円状にして山型の妻面を隠している。一帯は建物疎開地区だったので、この建物も戦前のものではなく戦後まもなくの頃に建てられたものだったはず。 周辺は現在は虎ノ門ヒルズ森タワーになっており、写真内の全ての建物は現存していない。また、撮影時に建物名の細かな確認をしなかったため、後で住宅地図を確認したがこの建物が大内ビルなのかどうかははっきりとは確認できていない。 sTokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…店だったという。 色の異なるタイルで模様が描かれているちょっと華やかで印象的な建物だったが、2023年夏に解体されてしまったそうだ。湊界隈は戦災を免れた看板建築が多数あったが、最近は再開発もあってかなり少なくなっている。 中央区ホームページ/池田靴店 池田靴店、中山印刷所/湊2丁目 - ぼくの近代建築コレクション 池田靴店 中央区湊 - 東京ノスタルジア Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #タイル張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…ット上の情報では、1889(明治22)にミルクホールとして創業、現在の建物は1933(昭和8)築、とされていたりもして、上記と食い違っている。 参考『東京都の近代和風建築−東京都近代和風建築総合調査報告書』 東京都教育庁地域教育支援部管理課 編 2009 中央区ホームページ/喫茶軽食 桃乳舎 井筒商会、桃乳舎/日本橋小網町 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #タイル張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…いて、2階の戸袋は一文字葺きと菱葺きを組み合わせたもの。 1階の軒庇は瓦葺きで家紋が付けられており、持ち送りの部分もきれいに銅板で覆われていた。 店の方は2016年頃に閉店したという。建物の方は仕舞屋としてその後も残されていたが、今年1月に残念ながら解体されたそうだ。 中央区ホームページ/亀屋 亀谷家、やな川水産/築地7丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…わりから令和に掛けて解体された。築地界隈には第二次大戦の空襲被害から免れていた地区もあり、震災後から戦前に建てられた銅板張り看板建築が数多く残されていたが、老朽化や代替わり、マンション・オフィス需要の高まりなどもあって、近年は解体されることが増え、それらは少なくなっている。 中央区ホームページ/湯浅屋 細越菓子店/築地7丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…屋」と記されており、恐らく戦前に既に開業していた店だったようだ。一帯は戦災では焼失しなかった地域なので、建物もあるいは戦前のものだったのかもしれない。 同所では写真周辺の建物がほぼ同時期にみな取り壊された。その後、街区全体が開発され、2018年にパークホームズ千代田淡路町という12階建てマンションが竣工している。 神田万彦、理容室ハシモト/神田須田町1丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…がするが、ここは引き戸。ガラスには「松崎理容所」「RIYO」と金文字で書かれていた。 1階の軒先や壁は、タイル状の凹凸目地がある薄緑色のトタン張りで、錆び付いた様子がなんとも言えない味わい。窓の下はモルタル塗り。玄関扉はアルミサッシだったが、左側の窓は木製枠。ただ老朽化のせいか全体にやや歪んでいるように見えた。 Googleストリートビューによれば、2011年4月時点で既に消失。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 埼玉県 #看板建築 #トタン張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…は新富2-3、三業地の見番の場所に移転し、1949頃に閉業したという。 1950年の火災保険特殊地図では、丸新果物S・喫茶店として記載があり、60年代の住宅地図では、八百屋丸新とH邸、70年代には丸新八百屋と森永牛乳、80年代以降は丸新青果と森永牛乳という形で記載されている。 丸新青果店、他/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 #タイル張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…リンク先掲載の写真を見ると、平入りだったことが判る。 青果店は2000年代前半までは営業していたようだが、その後、10年ほどは仕舞屋になっていた。界隈には戦前に建てられたと思われる銅板張り看板建築が点在していたが、近年はやはり減ってきている。 旧杉浦商店 品川区南品川 - 東京ノスタルジア杉浦青果店、浅田電気店/南品川6丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 品川区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…た。壁が剥落して壁裏が見えており、木造モルタル塗りだったことが逆によく分かる。 倒壊のおそれがあるので近づかないようにという貼り紙があり、中央区役所が管理しているようだったが、どのような経緯でそうなったのかは分からない。 Photo 2011.1.26 写真の後、3月の東日本大震災で半壊したそうで、その後建物は解体され、現在は同所もマンションになっている。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…年のペットショップとは異なる昔風のお店だったらしい。 建物は北隣に少し見えている山戸酒店と同時期に解体され、跡地には2003年にマンションが完成した。山戸酒店の方は少なくとも戦後まもなくから続いていたお店で、マンションになった後もその1階で営業していたが、こちらも10年ほど前に店を畳んだようだ。 砂糖小売専門店/小石川2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…窓が上下に並んでいた。 この界隈は戦災では焼失しなかったようなので、この建物も恐らく戦前のものではないだろうか(確証はない)。 1963年発行の東京都全住宅案内図帳(港区版)ではここは「東京計器工業KK工事部」で、昔は異なる会社が使っていたようだ。なお、下記サイトによれば日完工芸は1963年創業だそうだ。 日完工芸/三田1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…トランは現在もその新しいビルで営業を続けている。 キクヤレストラン周辺。写真右側がキクヤレストラン。中央は喫茶さんぼるがある5階建てビルで、この建物は現存している。左は1990年代半ばまで歯科医院(岡本歯科)だったもの。この後、歯科医院は廃業したようで、しばらくすると建物もなくなり、現在は駐車場になっている。キクヤレストラン解体前日 : やっとかめ どっとこむTokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…o 2013.10.13 震災後〜戦前の建物だったようだが、元から協和美術印刷だったかどうかは不明。戦前版の火災保険特殊地図には建物名が記されていない。 ただ、戦後の火保図(1950年)では「協和印刷KK」とあり、また、1963年発行の全住宅案内図帳(中央区)では、既に「協和美術印刷(株)」と記されている。 銅板張りの併用住宅 中央区湊 - 東京ノスタルジアTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…になっている。 また、下記「ぼくの近代建築コレクション」には、「区役所の出張所が置かれていたこともあるらしい。」とあって、確かに、1950年発行の火災保険特殊地図には「中央区役所第二出張所」と記されている。なお、戦前版では小規模の建物の場合、名称が記されなかったりするため詳細は不明。 籠平、他/湊1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #オフィス #木造店舗 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…が八丁堀2丁目にあったので、そこに移転したらしいが、現在はそれもないようで、やはり詳細は分からず。 かつては1階にも扉や引き戸があったのではないかと思うが、写真の頃にはそれもなく車庫になっていた。奥にある狭い階段が2階に続いている小さな建物。八丁堀の路地裏にある銅板貼り看板建築 - 東京ノスタルジア金陽堂印房、他/八丁堀3丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…る。 友醸社は醸造用機械器具を扱っている会社だそうだが、現在は入船1丁目に移転している。 Photo 2019.5.7 2、3枚目の写真の頃には既に移転していたようで、灯りは点いていなかった。 Photo 2019.5.7 1枚目写真の金文字の袖看板は移転先のビルに移設されているようだ。このため3枚目のこの写真では袖看板が既に取り外されている。Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #タイル張り看板建築 #オフィス ブログ内タグ一覧
…が、装飾などはほとんどなかった。1階の軒先と窓上の庇は洋瓦で葺かれていて、庇の下部もタイル張りだった。 ネットで検索したところ、原利商店はユニフォームやワーキングウェア等を取り扱う卸問屋だそうで、現在は少し南の日本橋横山町5-8にオフィスを構えて営業しているらしい。そしてこの建物は写真の約4年後に解体された。跡地には14階建てのマンションが建てられている。Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #タイル張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…学的な模様がつけられている。西洋建築様式を踏まえたデザインではないが、洋風立面を持つタイル張り看板建築だった。 建設年代の詳細は不明だが、これも震災後〜戦前期のものだったのだろうか。戦後、1949年の火保図では「法律宮代」とあり、当初は法律事務所として建てられたものだったのかもしれない。一誠、東通工/人形町3丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #タイル張り看板建築 #オフィス ブログ内タグ一覧
…また2階の窓も昔は観音開きだったが、上写真の時には上下2段の突き出し窓に替えられている。 1階部分は改装以前から洋風とは言い難い感じだったようだが、2階から軒先までは洋風の設えで、付け柱上部や窓の上部には装飾が施されていた。モルタル看板建築だがやや変わったデザインのファサードが印象に残る建物だった。加藤伍、末広亭/人形町3丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…て、大正期の地図には矢島洋傘帽子店と記されているお店。そして喫茶RONはその矢島洋品店が1965(昭和40)年に商売替えしたものだったそうだ。 喫茶RONは2018(平成30)年秋に閉店。その後も建物全体はしばらく残っていたが、2020年頃に解体され、10階建てのビルが2023年に完成している。ロン、みどりや靴店/人形町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…建設年についてはコメントしていないためその詳細は不明。 左隣の銅板張り看板建築は中島米店(日本橋人形町1-16-2)で、明治中期に創業したというお店。鴻生館と同じ頃に廃業したが、Googleストリートビューによればこちらの建物は2022年9月時点でまだ残っている。鴻生館、中島米店/人形町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture#失われた建物 中央区 #ホテル・旅館 #看板建築 #モルタル看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…ゃれにデザインされていた(改装などの際に新調されたものだったのかもしれない)。 1階の扉は観音開きで店の名が金文字で画かれていた。ショーウィンドウが張り出していて、見せ方にもちょっとした工夫がされた建物デザインだった。ただ、営業時の写真をネットで見たところ、ディスプレイはきれいだとは言い難い感じだった。永楽屋、他/蛎殻町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…が装飾は少なく、コーナー部壁面のレリーフとギザギザになったパラペット上端部だけ。日比野運輸の方は外壁が改修されているのでよく分からないが、金属板張りの看板建築で上端部のデザインはコットと似ていた。 二つの建物は共にこの写真の数年後に解体され、現在、跡地には10階建てマンションが建てられている。コット、フジスター/日本橋大伝馬町 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…真を見られるが、そちらでは荒井喜久蔵商店がまだ営業中で、軒先に看板が掲げられていることも確認できる。 月島は2000年に大江戸線が開通したこともあって、この頃から高層マンションがどんどん造られた。写真の建物群も1997〜98年頃に解体され、跡地には12階建ての高層マンションが建てられている。酒場ハクツル/月島2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 #出桁造り ブログ内タグ一覧
…この写真を撮って以降は訪れていない。2006年の住宅地図では既に建物がなくなっており、2010年撮影のGoogleストリートビュー画像では駐車場になっていて、その状態が最新の2022年9月の画像まで続いている。 なお、写真左端の銅板張り看板建築町屋は、2022年9月時点のストリートビュー画像にも写っている。楽々、他/月島2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…後半からマンションが増え、その後、高層化も進んだためこのような街並みはほぼなくなった。 ここも写真の少し後に解体されて12階建てマンションになった。その後、それも壊されて、2015年には53階建ての超高層マンションが完成している。その際、月島1-4と1-5の街区が統合されたため、現在、月島1-4街区はない。七軒長屋/月島1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…造瓦葺の2階屋を簡易防火を意図して銅板張りにしたものだったようだ。 築地会隈は明石町の聖路加国際病院に近く、戦災を免れたため、戦前の銅板張り看板建築が多く残っているが、さすがに最近は数が少なくなってきている。 Photo 2013.10.14 銅板張りなのは通りに面している側のみ。中央区ホームページ/須田商店・石川家【×】須田商店・石川家 - ずぼら堂懐古録Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧