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軽食喫茶おかもと他

…は既にそれもなく、その後半年ほどのうちに解体されてしまった。 2020.10.11追記 1953(昭和28)発行の『火災保険特殊地図』には、「多加岡菓子」と喫茶店を表すマーク(○にキ)が記されており、岡本某の名も記されている。店名は異なるが、当時も似たような業態だったようだ。 玉川電気、宝運道具製作所/東上野3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #商業系 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

吉岡商店

…があるかもしれないと設置したのだろうか。左側は袖看板を付けるために省略したのかもしれない。 写真の後もしばらくは仕舞屋として残っていて、2018.4のGoogle Street Viewでは健在だったが、2019年5月時点では残念ながら既に解体中だった。都心からはこのようなモルタル看板建築も次第に減っている。 越前、吉岡商店/日本橋本町4丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築

顔系ファサードの建物

…物用途との関連は不明。その後のStreet Viewではいつも閉まっていてカーテンが引かれていた。なんらかの倉庫のように使われていたのかもしれない。 2014年4月のGoogle Street Viewには写っているが、2015年6月では既に消失して更地になっていた。その後、2019年5月に至るまでコインパーキングで、現在もそのままのようだ。 シミュラクラ現象 - Wikipedia Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #商業系 #看板建築

中野屋米店

…辺は高層マンションが建ち並ぶ街並みになっている。 2022.12.30追記 1933(昭和8)年発行の火災保険特殊地図には「米ヤ」と表記されている。写真の建物が既に建っていたかどうかは不明だが、昭和初期の時点で中野屋米店はあったようだ。また、1958(昭和33)年発行の「東京都全住宅案内図帳」には「中野屋米店」と記されている。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中野区 #街並み 中野区 #看板建築 #モルタル看板建築 #出桁造り ブログ内タグ一覧

銅版張りの看板建築 クリーニング東和ほか

…をトタンにしたせいか2階庇上などが錆びているがその他は比較的当初の姿を残しているようだった。 一連の建物は、Google Street Viewで見ると、2009年12月時点ではまだ存在していたが、2013年7月の画像では既に新しいビルになっている。建設に掛かる時間を考えると、2010〜12年頃に解体されたようだ。 高田馬場の看板建築 - 都市徘徊blog Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧

東山堂ほか

…恐れがあったのかネットが掛けられていた。 一連の建物はこの写真の後もしばらくは残っており、2009年12月のGoogle Street Viewにはまだ写っている。しかし2013年には跡地に「Gemstone 高田馬場」というマンションが完成しているので、2010〜12年までに取り壊されたのではないかと考えられる。 高田馬場の看板建築 - 都市徘徊blog Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧

富永肉店ほか

…。 2009年12月のGoogle Street Viewでは、全体が別の素材で覆われていて倉庫のようになっていた。2013年6月時点で既にコインパーキングになっているので、2010〜13年に解体されたようだ。2015年に東隣の三軒の銅板張り看板建築が解体された後、その敷地も合わせて13階建てマンション(ヴェルデュール高田馬場)が建設された。 高田馬場の看板建築 - 都市徘徊blog Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #看板建築 #商業系

荒木商店・一英堂

…果 荒木商店」だけで、左は自動販売機のみが稼働している状態。右も「一英堂」の看板は付いていたが営業していないようだった。 中央の荒木商店が2013〜14頃まで営業を続けていたらしく、この三軒は残されていたが、2015年に解体された。跡地にはヴェルデュール高田馬場という13階建てマンションが2017年に竣工している。 高田馬場の看板建築 - 都市徘徊blog Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧

高田馬場・花福

…影後、2、3年の内に変更されたのだろう。建物の規模は変わっておらず、左側に別店舗の入口があるので、現在もベースとなる建物は変わっていないようだ。 ただ、2014年頃まで1階は飲食店だったが、その後はシャッターが閉まっていることが多い。左隅の入口のシャッターもずっと閉じたままのようで、どうも仕舞屋化しているらしい。 高田馬場の看板建築 - 都市徘徊blog Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #古い建物 新宿区 #看板建築 #モルタル看板建築

旧海老原医院/旧三洋パッキン

…時点では存在し、2010年1月では既に駐車場になっているので、その間に解体されたようだ。住宅ではなく事務所や店舗だった建物は失われやすいかもしれない。 2022.10.10追記 1953(昭和28)年発行の『火災保険特殊地図』には「海老原医院」と記されている。三洋パッキンの更に前は医院だったようだ。 三洋パッキン/東上野3丁目 - ぼくの近代建築コレクション 下谷神社周辺 - 都市徘徊blog Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #看板建築

南長崎の木造アパート

木造アパート所在地:豊島区南長崎2-3備考 :2009年時点で既に消失、建て替え済Photo 2006.2.19 南長崎ニコニコ商店街の道から横丁を北側へ曲がると廃墟化しつつある木造アパートがあった。1階がお店の下駄履きアパートだったようだが、撮影の時点で既に手前の豆腐屋さんも含め、営業していないようだった。この後、ほどなくして解体されて建て替えられた。 Tokyo Lost Architecture#失われた建物 豊島区 #看板建築 #商業系ブログ内タグ一覧

鈴や本店

…たので、どういう店なのか不明だったが、電話回線を引く際の代理店だったのかもしれない。よくあるような携帯電話屋さんではなさそう。二階の軒先が小さなタイル張りなのが目を引いていた。 その後ほどなくして取り壊されたらしく、現在はヴェル・ウッドというマンション(2008年5月竣工)になっている。 ちなみに、奥に見えるコインランドリーは、現在は営業していないが建物は現存している。 Tokyo Lost Architecture#失われた建物 豊島区 #看板建築 #商業系ブログ内タグ一覧

東京ファスナー

…工だそうなので、2000〜03年に建て替えられたようだ。2023.12.29追記 戦前の建物かどうかは分からないが、それなりに古い建物かと思う。ただ、戦後まもなくの火災保険特殊地図(1950年や1954-59年発行)では、「石坂S」(S=Shop)と記されており、東京ファスナーになったのは1960年代以降のことだったらしい。ぼくの近代建築コレクション > 東京ファスナー、他Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #タイル張り看板建築 #看板建築

萬屋履物店

…保町はRC造13Fで2005(平成17)年2月竣工なので、2003〜04頃に着工したと思われる。従って、この銅板張り看板建築はこの撮影の少し後には解体されてしまったのではないかと思われる。 Photo 1995.7.22 「よろづ」の文字に矢が刺さって「萬屋」。屋の字が傾いてしまっているのは御愛嬌。 ぼくの近代建築コレクション > 萬屋履物店、手塚印刷 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 2012.2.25

東洋キネマ

…2月開館だという。また、1970年から1973年までの間に閉館したそうだ。 その後は関連の会社などが使用したりしていたようで、1973年の住宅地図では小川町郵便局(仮局舎)、1982年の同地図では東洋キネマ・スタジオコモン、1991年には東洋キネマビル・(有)視聴覚センターと記されている。 千代田区の映画館 - 消えた映画館の記憶 ぼくの近代建築コレクション > 東洋キネマ Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #映画館・ホール #看板建築

誠屋洋服店

…(1951年作成、1954年修正)には「KK誠屋洋服店」と記されている。戦前の1935年発行の同地図ではそれらしき建物の形はあるが、屋号などが記入されておらず、戦前に建てられたかどうかは確認できない。ここの界隈は戦災で焼失したようなので、やはり恐らく戦後まもなくの時期のものだったのだろう。屋号の看板も左から書いてあるし。 誠屋洋服店/神田神保町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #商業系

三慶商店

…、結局見れずじまい。 2023.12.29 戦後まもなくの火災保険特殊地図を見たところ、1951年発行のものには「森信吉S・近江屋産業」とあった。建物は大正時代末頃に建てられたそうだが、当初は「三慶商店」ではなかったようだ。1954年発行のものには「三慶」と記されているので、この頃に変わったらしい。 ぼくの近代建築コレクション > 三慶商店、他 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #商業系 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧

東京共成社

…階屋(山内商店・履物店)の建物は2019年6月時点でも残っているが、東京共成社と右側の小川町丸十(パン屋)は2009年12月時点で既に共に消失していた。 現在、東京共成社が入居している永岡ビルは1999(平成11)竣工とのことなので、写真左の建物は1997〜98(平成9〜10)頃に解体されたのではないかと思う。 ぼくの近代建築コレクション > 稲川楼、東京共成社 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #商業系 2012.2.25

フタバヤ

…の「小さなお家」そのものの状況になって久しかった。2005年の春に訪れてみたら、跡形もなく新しい建物に建て替わっていた。ビルの間にちょこんとフタバヤがあることで、この交差点は印象的なものになっていたのが、それが無くなってしまうとあまり特徴がない交差点なのだった。 尾張屋、深見酒店/小川町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #モルタル看板建築 #看板建築 #商業系 ブログ内タグ一覧 2022.8.25

植村邸

…あまり変化なし。移築直前まで昔ながらの姿をしていたようだ。軒先のディテール。銅板の板金で、面白い造形を造り上げている。側面から。看板建築の意味が納得できる姿。背面から。展示物になって初めて目にすることができるようになった姿。植村邸/中央区新富2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #古い建物 都下 #商業系 #看板建築 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根 #移築保存 ブログ内タグ一覧2007.2.25

竹田ビル

…年:1997(平成9) Photo 1995.6.20 新富橋の橋詰めに建っていたハイカラな建物。撮影時点では使用されているか既に不明だったが、比較的綺麗な状態だったと記憶している。しかしほどなくして解体されてしまった。イオニア式風の柱が印象的。橋詰めという目立つ場所に建っていただけに残念。 ぼくの近代建築コレクション > 竹田ビル/新富1丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #商業系 #看板建築 #モルタル看板建築 2012.2.25

三田4丁目の銅板張り看板建築

…4-2 構造・階数:木・3F 建設年代:震災後〜昭和初期 解体年代:1993〜95(平成5〜7) Photo 1992.6.20 桜田通り沿いに建っていた木造3階の銅板張り看板建築。写真の時点で既に一部は空き家だったようで、この1、2年後には解体されてしまったようだ。 3間分の幅があり、かつ3階建てとわりあい規模が大きかっただけに、この写真1枚しか撮っておかなかったのは残念。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #看板建築 #銅板張り看板建築

根岸の看板建築

…建っているルネス根岸弐番館は2005年4月竣工なので、2004年頃までの間に解体されたようだ。 石川商店/根岸3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #商業系 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧 2007.2.26 2022.10.11追記 1995(平成7)年の住宅地図によれば、中央の店は雑貨・石川商店。また、1952(昭和27)年発行の『火災保険特殊地図』によれば、右端は大和田うなぎ店。

日増や(村上精華堂)

…左側が「中華 日増や」となっていた。上写真も元画像を拡大してみると、右側の菓子店には御菓子処の暖簾があり、ガラス戸には「よもぎだんご」「新くさ餅」「葛ざくら」といった貼り紙がある。また左の中華料理屋には中華料理の暖簾が掛かり、「冷し中華そば」の貼り紙が見える。 日増屋(村上精華堂)/池之端2丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #古い建物 都下 #モルタル看板建築 #看板建築 #江戸東京たてもの園 ブログ内タグ一覧

道玄坂のギャンブレル屋根建築

…は実際に確認していないが、情報はどうやら確実な模様。 2017.8.4 2015.2.14 追記 YOMIURI ONLINE内の記事に、この記事を一部引用して頂きました。 大人が似合う道玄坂(前編) : 新おとな総研 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) また、棟数を3棟と間違っていたようなので、4棟に修正しました。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 渋谷区 #商業系 #看板建築 #ギャンブレル屋根 #階段・坂 渋谷区 ブログ内タグ一覧

百軒店の看板建築

…俗店などが軒を連ねるようになり、昔とは雰囲気が変わってしまったようだが、道玄坂からの入口ゲートなどに僅かに百軒店の名を残す。 この建物は木造2階の前面を、洋風とも和風ともつかない妙なパネルで覆ったもの。右側は渋谷時報社という会社。左側はバーかスナックとして使われていた。2階は住人が居たようだが詳細は不明。左側の建物、右奥の建物などと共に解体され、現在、同所は駐車場になっている。 Tokyo Lost Architecture#失われた建物 渋谷区 #看板建築 ブログ内タグ一覧

てんぐ小路

…み屋街だった可能性が高いのではないだろうか。 1973(昭和48)年版のゼンリン住宅地図(注)には、てんぐ小路と一乗薬局の記載がある。てんぐ小路の方は、解体直前の2005年版住宅地図でも飲食店が3軒掲載されている。一方、一乗薬局の方は1995年頃までは営業していたが、1996、97年頃に廃業して空き家になっていたようだ。 注)都立中央図書館で紙面で閲覧できる最も古い江東区版の住宅地図 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #飲食店 #看板建築

スミノ近江屋

…わゆる看板建築的な建物だったことがわかる。 近江屋という店名は主人の祖父の出身地が近江だったからという。ならばスミノは名字だろうか?、それとも角地にあったから「隅の」が元だろうか。 同記事にもあるようにこの建物は2006年に解体された。跡地にはマンションが2007年に竣工している。 玉乃井の呉服店 - Kai-Wai 散策( ← 2022年時点でサイト消失)Tokyo Lost Architecture #失われた建物 墨田区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

里水

…の絵柄が描かれている。どうも牛乳か飲み物などを販売している店だったようだ。 それと軒上には「申込は(260)05××へ」とも書かれている。牛乳配達とかの申込受付をしているということだったのだろうか。その時に確かめなかったので、現在ではこれもよくわからない。 2009年11月のGoogle Street Viewでは既に建て替えられているので、遅くとも2008年末頃までには解体されたと思われる。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #看板建築

もちだ酒店・ワセダ菜館

…014.10.04 一枚目の写真で奥にわずかに見えていたワセダ菜館(定食屋)と理容ヒサゴの建物は、アルミサイディング張りの看板建築だったが、これも解体。こちらも建て替え中は一時休業していたが、新しいビル内で、2017年に営業を再開(ワセダ菜館は別の名に改称)している。 近年はこの手のお店が廃業して建て替え、というパターンが多いが、ここの場合は建て替え後も同所もしくは移転先で営業を継続している。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #看板建築