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…ブレル屋根の3F建て木造共同ビルで銀座では珍しい存在だった。ときどきTVで紹介されたりもしていたが、火災により焼失。あえなく消滅してしまった。 2022.2.6 追記 建物名を知らないままだったが、最近になって改めて各方面を見返していたら、下記に掲載済みだったことがわかったので修正。 ぼくの近代建築コレクション > 三ツ喜ビル/銀座7丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧 2012.2.6
…、全体のボリュームがかなり大きくなったため、相対的に縦に縮められたような印象となった。 Photo 2005.6.12 南側ファサードの一部のみが保存されて新ビルに活かされており、ここはバーニーズの玄関となっている。 Wikipedia > 交詢社 廃景録 > 交詢社 ぼくの近代建築コレクション > 交詢ビル(1/2)/銀座6丁目 交詢ビル(2/2)/銀座6丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #オフィス #近代建築 2007.2.25
…したところに建っていた、白地に小豆色の装飾が施された華やかなビル。右側は玄関とそれに続く階段室で、最上部には八角形の塔屋が載る。両側に巨大なオフィスビルが建ってしまい、窮屈そうな状況が続いていた。足立鉱業という会社のオフィスであり、また三笠会館というレストランとして利用されていたという。 廃景録 > 足立ビル 足立ビル/銀座5丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #オフィス #近代建築 2007.2.25
…ーダー柱が印象的だった。周辺の建物が建て替わっていく中、重厚な様式建築として貴重だったが、残念ながら解体。何故、このような建築遺産を貴重な文化的ストックとして残せないのか。非常に残念。地震が多いとか、銀座だからもっと高度利用したいとかいうことは知っているが、上手い方策はなかったのだろうか。 廃景録 > 東邦生命銀座ビル 銀座東邦生命ビル/銀座3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #銀行・保険 #近代建築
…成19)年1月に国立新美術館は開館。 旧歩兵第三連隊兵舎の建物のうち、上記写真で残されていた一部分は保存されて別館となった。ただし写真の塔屋部分は残存していない。また北面部分は更に削られ、ガラス曲面の壁面とされた。結局、保存されたのは全体の1/10に満たない部分のみだった。 保存された一部分の現況 → 国立新美術館-3(都市徘徊blog) Wikipedia > 歩兵第3連隊 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #官公庁 #研究所 #近代建築
…く、1945〜50年の航空写真(国土地理院)には建物が写っている。 1963(昭和38)年の東京都全住宅案内図帳には「麻布税務署」、そして1980年代から90年代初めの頃までの住宅地図には「東京国税局麻布分室」として掲載されているが、その後、写真のような廃屋になり、1996年頃に解体された。現在、同所にはアートギャラリーが入居する3階建て建物が建っている。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #官公庁 #オフィス #近代建築 ブログ内タグ一覧
…の開発が行われたわけではなく、現在に至るまでコインパーキングになっている。 2025.1.6追記 1937(昭和12)年の火保図では河合鉄二邸。同氏は第百銀行常務、川崎貯蓄銀行副頭取、日本火災保険・川崎倉庫各取締役を務めた人。戦後、1963(昭和38)年の東京都全住宅案内図帳では氏名等が記載されていない。そして1973(昭和48)年以降の住宅地図で金光邸とされていた。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #住宅系 #洋館・洋風住宅 #近代建築
…当初はかなり斬新だったのではないだろうか。妙な感じで目立っていたかもしれない。 建築家・隈研吾氏の設計によって建てられた新しいお堂もなかなか斬新な設計らしい。寺院建築は、ともすれば昔ながらの建て方になってしまいがちだが、梅窓院は、前回の建立時と同様、建て替えるからには、その時々に合った、新しい寺院建築の在り方を模索したのかもしれない。 長青山 梅窓院|東京南青山 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #近代建築 #寺院 #塔 2007.2.26
…ームのある塔屋が印象的だった。消防庁第一方面本部として使われていたということだったが、もともと個人住宅である洋館が、どのように使われていたのかちょっと疑問。接待用施設、もしくは会議施設として使われていたのだろうか。結局私は、この写真を撮ったときの一回だけしか目にすることはなかった。 Wikipedia > 田中長兵衛(2代目) Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #官公庁 #オフィス #住宅系 #洋館・洋風住宅 #近代建築 2007.2.26
…い空回りという感じでもあるが、可愛らしく愛すべき近代建築。 庚子銀行は1900(明治33)年設立。銀行名は、設立年が庚子(かのえね)の年にあたることに由来するという。 1928(昭和3)年、近隣5つの銀行と合併して、駿州銀行となった。 1932(昭和7)年には駿州銀行と旧清水銀行が合併、1948(昭和23)年に現在の清水銀行となった。 清水銀行由比支店本町特別出張所 文化遺産オンライン静岡の建築 #古い建物 静岡県 #銀行・保険 #近代建築 #登録有形文化財 ブログ内タグ一覧
…所在地:静岡市清水区三保2110建設年:1912(明治45)構造 :RC高さ :17.73m(地上高)Photo 1993.12.9 明治末期に建てられた、日本最初のRC造灯台。 三保半島が駿河湾に突き出ている場所に建つ。地元などでは三保灯台と呼ばれているが、正式名称は清水灯台だそう。 清水灯台 - Wikipedia近代化産業遺産 - Wikipedia清水灯台 | 土木学会 選奨土木遺産静岡の建築 #古い建物 静岡県 #インフラ #近代建築 #重要文化財 ブログ内タグ一覧
北里研究所本館・医学館所在地:港区白金5-9建設年:1915(大正4)構造・階数:木・2F備考 :1979(昭和54)に明治村へ移築Photo 1990.3.20 写真は移築後、明治村での様子博物館 明治村 > 北里研究所本館・医学館Tokyo Lost Architecture#失われた建物 港区 #古い建物 愛知県 #近代建築 #大学 #研究所 #移築保存
…ことがなかったのだろうか。南側の端にある、時計台は、簡素なデザインだが、印象深いものだった。肝心の時計だかシンボルマークが、多分取り外されてしまっていて、ちょっと間抜けな感じになってしまっていたが。 その後、このビルは取り壊され、工場敷地も売却され、超高層マンションが建てられた。 2005年秋に現地を再訪した時点では、建物は解体され、暫定利用されている状態だった。 廃景録 > 沖電気 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #オフィス #近代建築
…写真を見ても、そのような建物にはどうしても見えない。 その後、住宅地図等で調べたところ、建物は建て替えられたが、現在も外務省別館としてこの場所は使われていることが分かった。どうやら何らかの接客施設らしいが、目立つ看板もなく、相変わらず謎の建物。新しい建物は、外壁の色が以前の建物と似ていて、ディテールの雰囲気も似ている。旧来の建物のイメージを残しながら建て替えたようだ。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #近代建築 #住宅系 2007.4.4
…) 構造・階数:RC・2F 備考 :六本木防衛庁跡地再開発に伴い解体 Photo 1989.4.2 防衛庁跡地の再開発(東京ミッドタウンプロジェクト)のために解体された。 写真を撮った頃は、防衛庁の敷地内だったため、塀の外から無理矢理撮影。手前の塀が日陰になって黒く落ちていてかなり邪魔。全貌は見えず。かといって塀に上って撮影、なんていう無茶は当然できず。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #近代建築 #官公庁 #オフィス 2007.2.25
国立栄養研究所(旧陸軍軍医学校化学兵器研究室) 所在地:新宿区戸山 1-23 建設年:1929(昭和4) 構造・階数:RC・3F 備考 :解体・建て替え Photo 1989.4.5 早稲田大学戸山キャンパス(文学部)の裏手の丘の上に建っていた建物。昔ながらの研究所らしい雰囲気のある建物だったが。建て替えられて消失した。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #近代建築 #官公庁 #研究所
…ンクリートブロックを用いていた。改めて写真を見ると、ブロックの境目らしき目地が見えており、独特な外観の建物だった。 「中村式鉄筋コンクリートブロック」と帆足邸。:落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ 近衛町の帆足邸を拝見する。:落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ 中村式鉄筋コンクリート研究会 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #住宅系 #戸建て住宅 #近代建築 ブログ内タグ一覧 2022.8.26
…yo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #近代建築 #病院 ブログ内タグ一覧 2022.10.20追記 国土地理院の空中写真で確認したところ、およそ以下のことが判明した。撮影年に幅があるので正確には分からないが、中央部分と東側は、戦時中か戦後すぐの頃に完成したようだ。また、1枚目写真の左側部分は、昭和30年代までに完成したようだ。 1936〜42年頃 本館の建物なし。 1945〜50年 中央部と東側部分が完成済み 1961〜69年 西側部分も完成済み
…15) Photo 1994.12.4 千石の住宅地にあった洋館。撮影時には葉山商店として利用されていた。屋根中央のギャンブレル状の窓や、2Fのアーチ型の窓が印象的。小路の突き当たりにあったのだが、建物の正面に建つ電柱が邪魔。 大切に使われていたようだったので、安心かと思っていたが、持ち主が替わったのか、その後、あっさり無くなってしまった。残念。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #近代建築 #住宅系 #洋館・洋風住宅 2007.2.26
…年:1936(昭和11) 構造・階数:木・2F 備考 :解体・マンション化 Photo 1994.12.18 洋館で探偵事務所というのは珍しかった。春日通りに面して瀟洒な外観を見せていたが、春日通りの拡幅に伴い通り沿いの建物が建て替えになる中で、この建物も失われた。 廃景録 > 佐藤探偵事務局 佐藤探偵事務局、君塚接骨院/大塚5丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #近代建築 #商業系 2007.2.26
…4 2006年春の時点では旧校舎がまだ残っていたが、その後取り壊されたらしい。写真の時点で既に後方に新校舎が建設されていたようだが、全然気が付かなかった。 Photo 2006.3.24 中央上部の学校名レリーフ。戦前のものらしく、右から書いてある。壁面が少し桃色がかった建物だった。関連・参考サイト記事:ぼくの近代建築コレクション > 窪町小学校Tokyo Lost Architecture#失われた建物 文京区 #近代建築 #震災復興 #学校 #中村與資平2007.2.26
…Photo 2000.6.3 最期の頃は、タイルの剥落が多かったのか、ネットが懸けられていた。 包帯を巻かれてしまったみたいで無惨。 Photo 2000.6.3 現在、跡地には図書館流通センターのTRCビル(12F・B1F、2013竣工)が建っている。 Wikipedia > 大塚女子アパート 大塚女子アパート/文京区大塚3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #近代建築 #住宅系 #集合住宅 #同潤会
…の関係とはいえ、かなり無理のある平面型で、現在の映画館ならまず造られない形。 北側からの様子。一つ奥は常盤座。Photo 1988.12.17 浅草松竹、常盤座、東京クラブ。3棟とも中に入ったことがないままに終わった。いちどはここで映画を観て、内部空間を体験しておけば良かったと今になって思う。 東京クラブ/浅草1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #近代建築 #映画館・ホール #商業系 ブログ内タグ一覧
…部分に装飾が少ない。浅草松竹が昔の西洋の城のような外観で装飾的なのに比べると、一見地味だが、当時としては新しい表現派的な雰囲気のあるモダンなデザイン。 Photo 1988.12.17 北側(手前側)から東京クラブ、常盤座、浅草松竹。常盤座は両側の2棟に比べて間口や高さが大きな建物だったようだ。 トキワ座/浅草1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #近代建築 #映画館・ホール #商業系 ブログ内タグ一覧
…京クラブ Photo 1989.12.1 写真中、浅草松竹の左隣は常盤座、そしてその更に左奥が東京クラブで、ここでは映画館・劇場が3棟並んでいた。『日本近代建築総覧』には3棟がつながっていたという記述があり、入口やファサードは異なるが、後方の一部は構造的につながった建物だったらしい。 浅草松竹(旧金竜館)/浅草1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #近代建築 #映画館・ホール #商業系 ブログ内タグ一覧
…サイトでも、15・16号館の写真はあまりなく、下記「ぼくの近代建築コレクション」が最も写真が多いサイトではないかと思う。 廃景録 > 同潤会 清砂通アパート ぼくの近代建築コレクション > 同潤会清砂通りアパートメント15・16号館/白川4丁目 Tokyo Lost Architecture 同潤会清砂通アパートメント 1〜3号館 5号館 6号館 7〜10号館 11、12、14号館 16号館 #失われた建物 江東区 #住宅系 #集合住宅 #同潤会 #近代建築 ブログ内タグ一覧
…) Photo 1996.5.12 14号館は西向きに開いたコの字型。通りに近い部分などは部分的に増築されていたようだ。 廃景録 > 同潤会 清砂通アパート ぼくの近代建築コレクション > 同潤会清砂通りアパートメント11・14号館/三好4丁目 Tokyo Lost Architecture 同潤会清砂通アパートメント 1〜3号館 5号館 6号館 7〜10号館 11、12、14号館 16号館 #失われた建物 江東区 #住宅系 #集合住宅 #同潤会 #近代建築 ブログ内タグ一覧
…めな樹木があった。 10号館角部屋の増築の様子 Photo 1996.5.12 廃景録 > 同潤会 清砂通アパート ぼくの近代建築コレクション > 同潤会清砂通りアパートメント7号館/白河4丁目 同潤会清砂通りアパートメント10号館/白川4丁目 Tokyo Lost Architecture 同潤会清砂通アパートメント 1〜3号館 5号館 6号館 7〜10号館 11、12、14号館 16号館 #失われた建物 江東区 #住宅系 #集合住宅 #同潤会 #近代建築 ブログ内タグ一覧
…2002.11.6 東南側の道路沿い部分などは階段室を挟み込む形で道路沿いまで増築が行われていて、当初のデザインは失われていた。 廃景録 > 同潤会 清砂通アパート ぼくの近代建築コレクション > 同潤会清砂通りアパートメント6号館/白河4丁目 Tokyo Lost Architecture 同潤会清砂通アパートメント 1〜3号館 5号館 6号館 7〜10号館 11、12、14号館 16号館 #失われた建物 江東区 #住宅系 #集合住宅 #同潤会 #近代建築 ブログ内タグ一覧
…ト打ち放し、壁面もコンクリート壁にペイントされているだけで、いたって地味。窓があまりなく照明も小さいので、玄関室はやや暗かった。 廃景録 > 同潤会 清砂通アパート ぼくの近代建築コレクション > 同潤会清砂通りアパートメント5号館/白河4丁目 同潤会清砂通アパートメント 1〜3号館 5号館 6号館 7〜10号館 11、12、14号館 16号館 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #住宅系 #集合住宅 #同潤会 #近代建築 ブログ内タグ一覧