#モルタル看板建築 の検索結果:

中村邸ほか

…南側は1970〜80年代はSHKという会社(業種は知らず)、90年代は空き家だった模様。 妻面はモルタル壁で屋根はトタン葺きだったようだ。建設年代はわからないがギャンブレル屋根の3階建ては戦後はあまりないと思うので、震災後から昭和戦前期のものだったのではないだろうか。あんくる、かわむら洋品店/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧

秋田接骨院・珈琲の店びいんず

…1959年修正の火保図では菊地歯科と信濃デンキと記されており、戦前から戦後にかけて医院がいろいろ替わっている。 その後、1973年には大京印刷・オクムラネーム店、1982年にはコーヒーびいんず・オクムラネーム店と記されている。びいんずという喫茶店はこの頃からのもののようだ。旧村木商店、びいんず/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 #夕景・夜景 ブログ内タグ一覧

山本金物店

…e ストリートビューは2012年6月の画像が最も古い。その時点で既に外装が金属板で覆われていてモルタル看板建築ではなくなっているが、改装されただけで建て替えられたわけではなく、2023年7月時点でも建物は残されている。 2018年8月の画像までは金物店として営業している様子だったが、2019年7月以降の画像ではカーテンが閉じられたままになっていて、その様子からすると、数年前に営業を辞めたようだ。 静岡の建築・土木構築物 #古い建物 静岡県 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

天野たばこ店

…っている。 看板建築は関東大震災後に関東地方で多く建てられたものであり、西日本には少ないと言われている。確かに銅板張りの看板建築はほとんどないのかもしれないが、モルタル看板建築は多少はあるのかもしれない。関東では戦後は最初から看板建築にするつもりで、妻入りで建てているケースが多いそうだが、この建物は平入り。長屋状だったものを改築したからこうなっていたのかもしれないと思ったりもした。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 福岡県 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

新聞販売店

…、しかもそれが褪色してムラができており、怪しいバラック建物のようだった。2階中央にアーチのあるシンメトリーなファサードなので、柱や軒裏を黄色に塗ったりしていなければそれほど奇妙には見えず、良い感じの看板建築だったのではないだろうか。 住宅地図では1991年時点で既に空白になっており、その頃には既に仕舞屋状態だったのかもしれない。この写真の後、2、3年のうちに解体され、現在は駐車場になっている。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 広島県 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

ミヤザワ装飾

…号線沿い、長屋門のある家のそばの角地付近にあったお店で、2003〜06頃に解体されたらしい。長屋門を見た時に近くにあったのでついでに撮ったようだ。 瓦屋根が見えているので看板建築的な建物だったのだろう。モルタルで作られた洋風装飾は一部が剥落していたが、前面の新しい壁を取り去ればそこそこ立派な店構えの建物だったのではないかと思うが、新しい店にした際などに古くさいと思って隠してしまったのだろうか。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 長野県 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

興津家政専修学校(旧 伏見天狗堂)

…わゆる看板建築になっている。何故か建物前に塀が巡らされてしまっており、1階部分の様子を見ることはできなかった。 2005年時点で、既に解体されていたようだ。下記サイトでは2004(平成16)に解体されたと記されている。同サイトの写真は斜め方向から撮られたもので、建物が平入りの木造2階建てであることが分かる。 流れ星コレクション > 失われた名建築(中部1) > 旧伏見天狗堂静岡の建築・土木構築物 #失われた建物 静岡県 #学校 #モルタル看板建築 #旧東海道 ブログ内タグ一覧

吉原マシン工業/旧東武タクシー

…川越市内には支所などもないようだ。かつて川越にあった写真の東武タクシーと、現在の東武タクシー(株)が同じ会社なのかも不明。 Google ストリートビューでは、2015年5月時点では存在していたが、2017年3月時点では既に更地になっている。 参考『川越の建物 近代建築編』『川越の建物』編集委員会 編、仙波書房、2021吉原マシン工業/川越市久保町 | 昭和回顧録 建築編日本国内の建物や街並み#失われた建物 埼玉県 #モルタル看板建築 #大正期 #昭和戦前期 ブログ内タグ一覧

上土手町商店街振興組合事務局 ほか

…図には見当たらず、いつ頃からの店かは不明。 通り沿いに掲出されていた整備イメージの看板 モルタル看板建築の場所は、現在はPizzaHutの店舗になっている。また商店街振興組合は、右隣の弘前緑屋信用販売があった場所にある。2つの建物は隣りあっていて、かつてのモルタル看板建築のデザインを想起させる装飾を付けたファサードにされている。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #失われた建物 青森県 #街並み 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築 #木造店舗 ブログ内タグ一覧

旧 福乃湯

…きい洋風の木造モルタル2階建て看板建築のような建物。銭湯なので奥にも長かったようだ。 通り沿いは店舗になっていて、銭湯の入口の右側は以前から理髪店(浅原理容所)。銭湯は中央付近の入口を入って奥へ進んだところにあったとかだったようだ。 建物は20年ほど前に解体されたらしい。Google ストリートビューで確認したところでは、花店の方は跡地に建つ建物で現在も営業しているようだ。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #銭湯 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

弘都交通

…る。 間口の大きな木造モルタル看板建築。1Fはタクシーの車庫で、右側奥には2Fの事務所への階段が設けられていたようだ。1F前面には両サイド以外には柱がなく、構造的にはやや不安な感じ。 側面の様子からすると平入りだったようだが、ファサードが山型をしていたので、こちら側にも破風状のものがあったのかもしれない。 弘前タクシーが破産、負債総額15億円 | レスポンス(Response.jp)日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

天香堂

…ーチ型部分も造られていて、洋風デザインがかなり意識されている。化粧品店(もしくは洋菓子喫茶)という業態のイメージもあってのことだったのだろう。 沿革には1984年に土手町に天香堂ピアザを開店したという記載もある。従ってその頃以降、ここは倉庫になったのだろう。2003年発行の住宅地図では天香堂月極駐車場となっている。建物はこの写真の後、2003年までに解体されたようだ。 天香堂について日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

長澤商店/五番軒

…モルタル看板建築と2階建ての木造商店。左側の木造モルタル3階建てには上部に「長澤商店」の文字があるが、撮影時は既に別の店舗になっていたようだ。1993年の住宅地図には、ますや・東京ギフト・コータリーの3店の名が見られる。 この二つの建物も前項の徳永りんご商店などと共に解体され、跡地にはFestivalcity AUGA(アウガ)が完成した。また、ここの住所も新町1-3に替わっている。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築ブログ内タグ一覧

徳永りんご商店

…築商店。妻入りの店舗だったようで中央部の壁が高くされていた。ただ、再開発目前の時期だったようで、周辺には空地が多くこの店も営業しているかどうか判らなかった。 この年か翌年に、右端、左端の建物と共に解体され、跡地では1999年9月に工事が始まり。2001年1月にFestivalcity AUGA(アウガ)が竣工した。徳永商店の西側の小路も廃止され、一角の住所は新町1-3に替わっている。 日本国内の建物や街並み#失われた建物 青森県 #看板建築 #モルタル看板建築ブログ内タグ一覧

クスリ千寿堂

…で「クスリ」と大書されているのがかなり目立つお店だった。 現場は北千住駅から旧日光街道や国道4号を越えて、やや屈折した道を千住柳町の旧赤線の方へ向かう道の途中。写真の右側の道、お店の前を通って奥へ向かうとかつての赤線エリアに至る。現在は静かだが往時は多くの人が歩いた道だったのかもしれない。そしてこの薬屋もそのお客さんなどに薬を売っていたりしたお店だったのかもしれない。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 足立区 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

平屋の洋風事務所・旧大東商事KK

…険特殊地図では「伊藤商店」、戦後の1952年版の同地図では「大東商事KK」と記されている。佐賀町一帯は第二次大戦時の空襲ではあまり被災しなかったようなので、もしかすると戦前に伊藤商店として建てられたものだったのかもしれない。住宅地図等では、1960年代は通信機関連の会社、1970年代以降は田中商店と記されており、建物は会社の事務所として変遷していたようだ。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

旧石田商店

…が既にあるようにも見えるが、名前などが書かれておらず既に建てられていたかどうかは不明。1952(昭和27)年版の火災保険特殊地図でも建物が描かれているが、当該部は空白。 東京都全住宅案内図帳 江東区(1962(昭和37)?)では石田商店、1973年版の住宅地図でも(株)石田仲介店と記されている。やはりかつてはなんらかの店舗として利用されていたもののようだ。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧

鈴木食品工業

…ると下見板状に重なっているように見えるので、3枚のガラスがそれぞれ斜めになる突き出し窓だったのかもしれない。 鈴木食品工業は現在も営業しているが、残念ながらこの建物も2020年に解体された。 鈴木食品工業 宮本不動産/根岸3丁目 - ぼくの近代建築コレクション 【×】鈴木食品工業 - ずぼら堂懐古録 【鈴木食品工業】〜台東区の看板建築 - 台東区 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #商業系 #モルタル看板建築 #看板建築 ブログ内タグ一覧

ガスライターサービスセンター・平坂ビル/旧 菊屋テーラー

…9.26 追記 1953(昭和28)修正作図の火災保険特殊地図には「菊屋テーラー」と記されていた。第二次大戦の空襲では幸運にも焼失を免れた地区なので、戦前の建物だった可能性もあるが、戦後の時点では洋服の仕立屋だったようだ。 平坂商事/台東3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Jun-Jun on Twitter:「ガスライターサービスセンター」 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #商業系 #モルタル看板建築 #看板建築 ブログ内タグ一覧

田中邸

…う。 1階の玄関はモルタルで唐破風状の庇を作っているが、これも左側が微妙に長いのが気になる。 Photo 2015.9.23 カマボコ型のファサードが特徴的だったが、その後方はギャンブレル屋根だった。ギャンブレル屋根にカマボコ型のファサードをあてがった発想も面白い。 田中家、聖山洞/東上野3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #住宅系 #看板建築 #モルタル看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧

フレンド商会

…かも知らず。 洋風の建物だが、2階建てなので恐らく木造モルタルの看板建築だろう。角地にあって2面とも洋風で窓が多い造りだったので、さほど大きくはないが存在感画のある姿だった。 右手の「小柳」は飲食店。左隣の看板建築は1997年の「はいまっぷ」住宅地図では「森山軌條」と記されているもの。 フレンド商会、東武ビル/堀留町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 #商業系 タグ一覧

森永牛乳佃島配給所

…たのかもしれないが、この5年後の2006年には廃屋化していた模様で、2008年のGoogleストリートビューでは既に空地になっていた。その後、駐車場になり、2020年時点でも同じ状況になっている。 梅本酒店/佃2丁目 - ぼくの近代建築コレクション 中央区佃~その一 - 東京 DOWNTOWN STREET 1980's 月島の看板建築 - あの日の街角 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #商業系 #看板建築 #モルタル看板建築 タグ一覧

中央築地六郵便局

…ではなくなっているので、この期間に解体されたようだ。モルタル看板建築なので戦前のものではないかもしれないが、それでも築70年程度は経っていたのではないだろうか。 築地界隈は戦災ではあまり被害を受けなかったが、やはり次第に古い建物が失われている。 北晃水産、他/築地6丁目 - ぼくの近代建築コレクション 中央築地六郵便局 : レトロな建物を訪ねて Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #商業系 #郵便局 #看板建築 #モルタル看板建築 タグ一覧

たてべ

…品雑貨と書かれた庇が付いていたが、当時まだ営業していたかどうかも分からない。 「ぼくの近代建築コレクション」には、1986年2月と2004年2月の写真が掲載されており、同サイトによれば2005〜06年まで残っていたという。跡地には2007年にアソルティ銀座花椿通りビルが竣工している。 ビガロ、たてべ雑貨店/中央区銀座7丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #商業系 #看板建築 #モルタル看板建築 タグ一覧

旧 細淵ビル

…観の雰囲気では木造看板建築のように思われる。また下記サイトには喫茶店の天井裏が見える写真が載っていて、木製の梁が架かっているのでやはり木造だったのではないかと思う。ただ3階建てなのでRC造の可能性も捨てきれず、そのあたりはよく分からない。 藤、TOP/神田神保町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション 中古建築愛好会・第二領域 > 旧細淵ビル 速報第二弾 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #商業系 #看板建築 #モルタル看板建築 タグ一覧

神田みずさわビル

…の看板建築。やや異なる雰囲気のファサードだが、どうやら一つの建物だったようだ。 Photo 2007.1.27 なお、「ぼくの近代建築コレクション」内の1987年の写真では、左側の壁面は黒っぽく右側は白い。店舗も左は玉屋(眼鏡店?)、右はキッチンあけぼの?、と2000年代とは異なっている。 及川かばん店、他/小川町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #商業系 #看板建築 #モルタル看板建築 タグ一覧

白光堂

…とんど装飾がないシンプルなものだった。 2010年までは存在していたが、2012年末に通りかかった時には既に現在の3階建ての建物に建て替わっていたので、2011年頃に解体されたのではないかと思う。かつては通り沿いにこのような建物が多く建ち並んでいたのだろうが、次第に建て替えられて現在はほぼ全てが消失している。 白光堂、明治印刷/飯田橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築

スダインテリアサービス

…019(平成31) Photo 2018.11.1 上部に「家具」と大書されたおもしろい看板建築だった。一昨年秋に通りかかった時はまだあったが、昨年秋に通りかかったら既に建て替えられていた。 Photo 2010.3.27 「家具」の文字と左右の草柄は、モルタルかなにかで立体的で手が込んだ浮き彫りで作られていた。 スダインテリアサービス 新宿区西早稲田 - 東京ノスタルジア Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #看板建築 #モルタル看板建築

平野製作所

…の4月中旬に訪れた時にはまだあったのだが・・・。 赤い部分はトタン張りだったのだろうか。窓枠は銅板張り。屋根形状は側面にも金属板が建てられていたため分からず。 窓は木製の上げ下げ、玄関扉も木製。玄関上にはモルタルでアーチが描かれていた。玄関上の庇は傷んでいて、2010年頃には建物より先に撤去されていた。 平野製作所/芝5丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #商業系 #看板建築 #モルタル看板建築 タグ一覧

戸越銀座商店街そばのモルタル看板建築

…る点、軒先にレリーフがある点など、似たデザインになっている。もしかすると、同じ持ち主だったか、デザイン・建設した業者が同じだったのかもしれないと思わせる代物。 こちらの建物は2019.6のGoogleストリートビューにも写っており、この時点では健在。ただ、近年の画像ではシャッターがいつも閉まっているようで、使われているか空き家なのかなどは不明。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 品川区 #古い建物 品川区 #商業系 #看板建築 #モルタル看板建築