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…にした。運転手氏はロシア語しか話さない。従って、黙って、気分的にはやや窮屈そうに食べていた。途中で一回だけ、MTVを見ながらリズムをとって、「いいよなぁこれ」みたいなことを言っていたのが印象的だった。 21:30頃 帰寮。今日もいろいろなメニューが盛りだくさんだった。帰寮が遅くなってしまったので、昨日、ドミトリーの女学生らと交流することはできなくなり、明日の夜に先送りとなる。 23:00頃 疲れて就寝。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…F氏は、友人への土産物として450RB(180円)のアコーディオンを3つも買っていた。広場で早速代わる代わるアコーディオンを弾いてみる。しかしバンドネオンタイプの物で、全てプッシュスイッチになっているので、どのボタンを押せばどの音階が出るのかよくわからず、なかなか目指す曲は弾けない。ましてやハーモニーをつけるのは、すぐにはできないことだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #街並み 海外 #夕景・夜景 #鉄道 #吹き抜け・アトリウム ブログ内タグ一覧
…た。「これ新しいお札ねぇ、初めて見たわ。」と言っていたかどうかはわからないが、表情はそうだった。でもって、そんなお札をポンと出す謎の東洋人にも好奇の視線が集まるのだった。 グムショップ店内と猫 暖房が効いた店内の棚の上では猫が誠に気持ちよさそうに丸まって寝ていた。ロシアでも犬や猫は可愛がられているようだ。その後、昼にも訪問したNostalgiaへ再び行き、小さな絵を1,000RB(400円)で購入する。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…らしかたないのだ・・・。 盛り上がって来ると、コサックダンス調のロシアンダンスも始まり、こちらとしても日露友好ということで、調子を合わせて盛り上がらざるを得ない状況になってしまった。で、ダンサーの女性とS氏が一緒に踊ってしまったり、K氏がみんなと一緒に跳ねてしまったりでもう大変さ!、の世界になって行ったのだった。 18:00 狂乱?の宴会は日露友好万歳!!ということでようやく幕となった。いやはや・・・。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…トの関係で、日本人にとってはロシアの物価は非常に安く、高級品でも安く手に入るが、それでも貴金属や絵などはやはり結構高く、学生の私たちには簡単には手が出ない物だった。また、この店のそばには中国風の玄関を持つ別の店があり、当時のウラジオでは珍しい外観を見せていた。 カフェ(Кафе) 近くの店の看板にはコーヒーカップと時計の針のような物が描かれていた。Кафе(Cafe)とあるので、喫茶店らしい。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #商業地 ブログ内タグ一覧
…る凡例・その他の文字を、「写楽」というハンディコピー機で一生懸命転写。英語の先生で、通訳をかって出てくれたタマーラおばあちゃんは、このハンディコピー機をエラク気に入っていた。私は様々な模型・図面の写真を次々に撮影した。スパイが事務所内の一切合財の資料をフィルムに収めて嵐のごとく立ち去って行くようで、なんだか申し訳ないような気分になるのと同時に、収穫を得た後のような妙な満足感に一同浸るのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #自動車 ブログ内タグ一覧
…共にウラジオから約100km、約250kmの町)、ヤクーツクなどロシア国内のあちこちだった。だから顔立ちもヨーロッパ系(白系ロシア)からシベリア系?、中国系、朝鮮系とさまざまだ。更にかなり混血もしている模様。夏にはダーチャという別荘に行ったりするのだという。ロビーはやや寒かったのだが、なんだか話が盛り上がってしまい、22:30頃まで話が続き、明日また交流することになった。 24:30 日記をつけて就寝。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…、入ったK氏も冷たさからキャーキャー叫んでいた。 サウナを出てからおいしいお菓子を食べてチャイを飲む。泊まることもできるらしいが、当然やたら高いという。泊まれるものなら勿論泊まりたいものだとも思ったが、珍しい体験をしただけで満足。広々としたサウナはとても気持ちよく、それに他と違ってここはかなり清潔だった。というわけで私たちはとにかく豪華なサウナを満喫して帰途についたのだった。 20:45、サウナを出発。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…もしれないが、当たっても為替レート的にほぼ意味がない。ただ、ちょっと面白かったのではずれ券を記念に拾って来た。滞在記念にはずれ券など拾ってもどうにもならないのだが、面白いみやげ物というのがほとんど無いので、こんなものでも面白く感じてしまう。 17:30 中央広場に集合。バスでドミトリーに帰る。 18:00 夕食。ピロシキが出た。皆、喜んで大きなのを2個も食べてしまった。うまい!。 < 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #デパート・百貨店 ブログ内タグ一覧
…たり前だが、ほとんどの人はここで下船してしまった。しかし僕らはここで降りてしまうと戻れないので、下船せずにまたもと来たルートを戻る。16:30に出発。わりあいきっちり30分おきに行き来しているようだ。渡し舟で湾の外まで出たことで、街の周辺の様子は何となくわかったが、皆、湾内クルーズだとばかり思っていたので、その落差は激しく、なんだか残念な船旅となってしまったのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #街並み 海外 #船 #海・川・池 ブログ内タグ一覧
…1年時点では沿海地域総務事務所(Panoramio掲載の写真タイトルからの直訳)) ボロゴイ通り交差点付近から山手方向 Google Map 正面奥は極東総合大学(現在は極東連邦大学らしい) 坂を上った最後のところは時間切れになったのと、地図が大幅に違っていたという事情で調査しきれなかった。仕方なしに中央広場に戻る。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #階段・坂 海外 #古い建物 海外 #街並み 海外#道 #パノラマ #大学 #オフィス ブログ内タグ一覧
…高いのにも頷けるものがある。でもってやっぱりおいしかった。喉を潤したかったが、この時は残念ながらジュースは買えなかった。O氏はタバコを買ったが、両切り煙草でまずかったと言っていた。 線路が下の方を通っている路地で休憩していたら、F氏、I氏、K氏のチームに出会う。向こうのグループも結構疲れていた。少し話をした後、また別れ別れになって調査を続ける。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外 #商業地 #道 #自動車 ブログ内タグ一覧
…結局、距離や街区規模が正確な地図は簡単には手に入らず、かなりアバウトなガイドマップを使うしかないのだった。 後日、ネットで検索していたら、この二つの建物は、The 1st Gray Horseと、The 2nd Gray Horse という二つのアパートらしいことが判った。第一・第二灰色の馬(もしくは葦毛の馬)アパートっていう呼び名らしい。詳細な由来は知らず。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外 #住宅地 ブログ内タグ一覧
…こらない。しかし今考えてみるとこのような場面こそがいわゆる「決定的瞬間」なのかもしれない。その時すかさず写真を撮っておけば、かなり印象深いものになっただろう。でもその時はただひたすらに「あーっ、落ちちゃった!」であって、またその次の瞬間には、拾ってあげたいのはやまやまだけど、言葉通じないからなぁ、であって、写真を撮るなんてことは全く考えなかったのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #街並み 海外 #鉄道 #郵便局 #ミュージアム ブログ内タグ一覧
…リングをしたりもしなければならないので、僕らに比べると路上調査は少ない。だからできるだけ分かりやすく教えてあげなければならないかなぁと思い、細かく報告してあげる。 宿泊していたウラジオ技術大学ドミトリー・3人部屋の見取り図 24:00 日記をつけてから就寝。今日も疲れた。深く沈み込むベッドで、翌朝、またまた背中が丸まってしまって辛いとはわかっていたが、疲れて朝まで全く目覚めないのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #ホテル・旅館 ブログ内タグ一覧
…が、あたりは既に真っ暗になり、何が何だか良くわからない。でもって街の夜景が良く見えるわけでもなく、街より湾の外側の暗い海ばかりが見える場所で、結局夜景に関してはあまり楽しむことはできなかった。なぜ、夜景がきれいな展望台でなく、暗い景色しか見えない場所に連れて行かれたのかは謎。 20:00 寮に戻る。S氏、A氏の部屋にて本日の報告。30分程度で簡単に終わらせる。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #眺望 #夕景・夜景#住宅地 #海・川・池 ブログ内タグ一覧
…整えるためにもできるだけちゃんと食べようと思っていたが、次第にそこらへんがどうでもよくなって来た。でもって、あまりおいしくないものを無理して食べるくらいなら、食べない方がましかなぁなどと思い始める。健康管理の面からすると、どう考えてもそれは良くないのだろうが、精神衛生の面から見るとそっちの方がずっと良いような気がしてしまうのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #街並み 海外 #古い建物 海外 #官公庁 #オフィス #モニュメント ブログ内タグ一覧
…がありそうな建物だ。帰国後、資料からこれはバイカル旅館とシベリア旅館であるということが判った。 コマロワ通り(Комарова) 夕暮れが足早に近づいてきたので、手早く写真を撮って坂をまた下って行くことにする。ふと、横のコマロワ通りを見ると高圧線の鉄塔が建っていた。送電線の鉄塔が歩道上にあるのは、日本人にとってはやや違和感のある風景だ。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #階段・坂 海外 #古い建物 海外 #街並み 海外 #道 #自動車 ブログ内タグ一覧
…と、中庭側にもバルコニーがあるなかなかきれいな建物だった。しかし書割りのような付け柱と、パステルカラーのようにペタペタと塗った外壁の色が、どこか安っぽさやかわいらしさを感じさせる。 旧電信局 建築年:1898年 資料には旧電信局と記されていたが、現地滞在の時点での用途・名称などは不明。コーナーに小さなドーム状の屋根が載る比較的小規模な建物。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外 #大学 #官公庁 #オフィス ブログ内タグ一覧
…ので、これが目指す建物だろうと考え、写真をスバヤク撮る。中庭部分にはあまり人影はない。人が来ておまえら何者だとか言われても、何を言ってるかわからないし、説明のしようもないので、このような場所では地元の人には会いたくないであるな、などと考えながらスタスタと出てきてしまう。しかし後年、これは日本人学校ではなかったことが判明した。これまた残念。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #階段・坂 海外 #道 #モニュメント #商業地 #街並み 海外 ブログ内タグ一覧
…何時間かを使ってしまうのは、結構な経済的損失であるような気がする。物がないのだから仕方ないといえばそうなのだが・・・。 道行く人々 それからウラジオでは意外にきれいな女の人が多かった。またカメラを向けると気軽に撮らせてくれたりする。ロシアの人は極東でも基本的に白人(白系ロシア人)であるが、中国系や、少数民族系の人々もこれらの中に混ざっており、なかなか多様な民族構成になっている。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #街並み 海外 #商業地 ブログ内タグ一覧
…で、何やってるのか?、どこから来た?、どこの大学の何年生なのか?、どこのホテルにいるのか?、等々いろいろ尋ねられて、ちょっと閉口してしまった。だが、これはお互いたどたどしい英語で、なんとか意思の疎通が図れるのでまだマシだったかもしれない。当時のウラジオにはまだほとんど東アジア系の人は居なかったので、たぶんその留学生は同じ韓国人かと思って声を掛けてきたのだろう。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #道 #高層ビル #自動車#官公庁 #大学 ブログ内タグ一覧
…朝に続いて昼もスパゲティだった!。この他スープが出る。 15:00 昼食を終えて、部屋にいったん戻って休憩。ハンモック型ベッドは一晩寝ると背中が痛くなってしまうが、ちょっと休憩する時には、包まれてしまうような感覚がなかなか良い。疲れた体を少しの間だけ預けてしまう。ばたばた行動していると旅行前半なのになんだか疲れてしまう。実はお昼休みというのは大切なのですね、と気づかされる瞬間なのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #道 #自動車 ブログ内タグ一覧
…表現などにより、大意がつかめる場合もあり、ウラジオストク及び沿海州の歴史に関しては少しは勉強になった。でももうほとんど忘れちゃったけど・・・。また写真集の撮影に結構時間がかかって(12:30頃迄かかってしまった。)、展示をじっくり見ることができなかったのが少し残念だった。 アルセーニエフ博物館から、スヴェトランスカヤ通りと沿海州共産党本部ビル 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #ミュージアム#屋内階段 #道 #パノラマ ブログ内タグ一覧
…か。 10:25 途中、平和委員会(平和基金)に立ち寄る。ここでG先生、S氏、A氏がインタビューを受ける。これが後日、地元の新聞記事に載ったそうだ。よかれと思っているのか、単なる向こうの都合なのかは知らないが、こちらの思いどおりにことが運ばず、予定変更に振り回されることが多いことにこの頃から気づく。まぁ大したことじゃないからいいのだけれど。 アルセーニエフ博物館前にてアレウツスカヤ通り 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #鉄道 #自動車 ブログ内タグ一覧
…どうやら建付けはしっかりしていて、寒くはないようだ。ウラジオ自体がハバロフスクより暖かいのも好都合だ。しかしベッドはハバロフスクのホテルチャイカの方が良かった。寮のベッドは横になるとハンモックのように腰の辺りが沈んでしまい、どうも始末が悪い。だが安い宿泊先でもあるし、他にあてがあるわけでもないので、うまく付き合って行くしかないようだ。 23:30頃、日記を書き終えて就寝。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #パノラマ #眺望 #夕景・夜景ブログ内タグ一覧
…れ、街のあちこちにコンビニや自販機があるという国は、考えてみれば世界中で日本だけなのかもしれないなぁと改めて思うのだった。 17:30に帰寮。部屋で少し休憩した後、18:00に夕食。鮭+ライス、サラダの軽食。ロシアでは昼食がディナーなので、夕食はサパーで軽い。日本の夕食に慣れていると、どうも物足りない気がするがしかたない。しかし明日はスパゲティとのことで、一同喜び期待する。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #パノラマ #海・川・池 #山ブログ内タグ一覧
…。凄い大風呂敷だなぁと思ったが、そこで、はたと、先程の所長の合弁持ちかけの態度も理解できたのでありました。海外からの投資大歓迎ということなのだな。 17:00、事務所を出て建物の前で記念撮影。 市内を走るトラム 前の通りには市電が走っている。ウラジオでは2輌連結でいくつかの種類の車体が走り回っている。何故かは良くわからないが、市電というのは何だか夢のある乗り物のような気がいつもする。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #オフィス #鉄道 ブログ内タグ一覧
…:30、寮を出る。みんなで外出する時は、いつも貸切バスが寮の玄関まで迎えに来てくれる。マイクロバスで幼稚園の遠足みたいに、揃って街へ出かけるという寸法である。危ないから勝手に外出しちゃいけません、ということらしい。ガイドがないと入れないところに行けるのは良いが、自由に時間を割り振って見ることができないのが残念だ。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #街並み 海外 #広場 #高層ビル #官公庁 #オフィス #モニュメント #地下 #体育館 ブログ内タグ一覧
…は完全に教会でレンガ造りのゴシック建築。ただし頂部の十字架は共産主義時代に撤去されて、今はない。建物のデザインは宗教的なものなのに、その周囲に昔の小さな戦車や、大砲などが展示してあり、妙なギャップを感じてしまう。時間がなかったので、内部の見学はしなかったが、聖堂の中に、鉄砲やら剣やらが展示されているのだろうか。もしそうならそれはかなり凄い違和感だろうな。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #階段・坂 海外 #古い建物 海外#教会 #大学 ブログ内タグ一覧