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…陸直前なのでスピードは抑えられており、また微妙な高度を保つため、エンジンのパワーの上げ下げを頻繁に繰り返している。飛行機が2度目の僕は、初めて経験することなので、こんなものなのかなぁとあまり怖くなかったが、F氏は相当怖がっていた。彼の目の前は座席ではなく仕切り壁だったので、いらついた彼は壁を蹴っていた。着陸後、彼は「あの状態があと10分続いたら俺、発狂してた!」と言ったのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #飛行機 #夕景・夜景 ブログ内タグ一覧
…いて」)を読んでいたが、ソファーにゴロッと横になってうつらうつらし始める。彼の場合、横になるとたいがい眠りに落ちる直前である。 23:00 かなり時差のある場所へと移動するので、いつ寝たらよいか分からないのだが、皆が寝始めたのでO氏と私も寝ることにする。しかし、寝やすい場所はI氏やK氏に先にとられてしまい、私やO氏は椅子を組み合わせて不自然な体勢で寝ることを強いられた。こういうときは先に寝たもん勝ちだ。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…。 食堂はこぎれいになっている。その壁には周辺の森の様子が描かれており、これも子供達の作品だという。傍から見ると可哀相にも思えるのだが、彼らがはにかみながらも明るい笑顔をしていたのを見て、ここにいる方が場合によっては幸せであることもあるのかもしれないとも思う。 彼らと記念写真を撮り、私たちはまたバスに乗って孤児院を後にした。別れ際、見えなくなるまで子供達が入口に立って手を降り続けていたのが印象的だった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…る時にはそう覚えておくと便利だ。 2013年追記 改めてウラジオストク空港を検索したら、1999年に国際線ターミナルビルが完成し、2006年には国内線ターミナルも改築されたという。また2012年に行われたAPECの際に更に改修がされ、新国際旅客ターミナルが建設されたのだそうだ。90年代前半までは地方都市の小さな飛行場という感じだったが、現在はかなり立派になったようで、全く様子が変わったようだ。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #飛行機 ブログ内タグ一覧
…、「ニエット!(NO!)」の一点張りでらちがあかない。結局、彼女たちは「私達は何とかするから、あなた達は入って(たぶんそんな意味だと解釈しただけ)」と言って、立ち去ってしまった。 24:30頃になって、仕方なく私たちも部屋に戻る。結局彼女たちのその後は確認できないまま僕等は床に着く。ウラジオ滞在最後の夜に、そんなことが起こり、そしてそのままモスクワに向かうことになり、少し複雑な思いを抱えながら就寝する。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…て暗くなったのであと一ヶ所の眺望点には行かなかったが、徒歩では行きにくい中心部周辺の場所に行くことが出来たので、個人的には満足だった。 19:00、ウラジオストクホテルにて夕食。I氏もここで合流。昼食を街中でとって午後はさんざん街中をぶらついた模様。彼は単独行動が好きな方なのでまぁ仕方ない。ともあれ無事でよかった。20:00過ぎに寮に戻る。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #パノラマ #眺望 #海・川・池#山 #夕景・夜景 #船 #塔 ブログ内タグ一覧
…結構軍の規律も乱れているようだ。墓地の中の別の小道を行くと、金角湾奥が最も良く見える開けた所に着いた。ここでO氏、F氏も加わって、写真を撮る。K氏とY君は、軍施設の鉄条網をかいくぐって中に侵入し、頂上からパシャパシャと数枚撮影してからすっ飛んで帰ってきたとのこと。撮るのは良いが捕まらないでくれよという感じだ。 Wikipedia > ヴァリャーグ(防護巡洋艦) > ウラディミール・アルセーニエフ 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #眺望 ブログ内タグ一覧
…レキサンドル氏的にはこれで良いという。旅行者は現地のルールを乱すべきではないということかもしれない。しかし以後、ヨーロッパや中国等に行く度に、この問題にしばしば直面することになった。 16:30、寺院を出る。新旧比較写真の撮影はこれでだいたい終わり。後は眺望の調査だ。眺望点に行けるのは私も嬉しい。しかしここ一日二日はウラジオも少し寒くなっており、とりわけ高いところは風が吹き抜けて寒いようだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #教会 ブログ内タグ一覧
…造であるから恐れ入る。こんなに一度に建設したら、また水や電気、熱供給が不足して生活に困るのではないかと心配になる。 山を一回りして再度スヴェトランスカヤ通りに出て、とある坂道を上る。坂の入口では、花嫁が結婚式を終えて車に乗って、満面の笑顔で今まさにどこかに行かんとするところだった。問題の多い国だが、庶民の生活の端々には、幸せそうな表情も垣間見られるのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #新しい建物 海外 #古い建物 海外 #教会 ブログ内タグ一覧
…Oschepkov house)、後方左がロシア正教の教会 20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから) 改めて見ると、アールヌーヴォーの円形窓が多用された面白い建物だ。撮影時は建物の周囲が完全に藪で廃墟状態になっていて、近づくことが難しく、全景を見ることもできなかったが、Panoramio掲載の写真などで見ると、現在は周辺も整備されていて、中央部分も含めた全景が見ることができるようだ。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 ブログ内タグ一覧
…る。すると女性運転手は外へ出て、バーを再びセットしなければならない。だが、バーを架線に押しつけるためのバネの力が強いので、一端外れてしまうとこの作業にはかなりの体力が必要となる。女性には結構大変そうに見えるのだが、その点ロシアの女性はたくましく、さほど問題はないようだった。乗客は黙ってその作業を待っており、至って平静なのだが、慣れない私達はこういう光景を目にするとやや心穏やかには見ていられない。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #鉄道 ブログ内タグ一覧
…大学だった場所。現在は極東連邦大学に統合され、キャンパスも移転してしまったようだが、そもそも1899~1920年に東洋学院という学校があったようだ。 劇場の近くで、ばったりアレキサンドル氏と出会う。彼の家はこの近くだそうで、昼食前にちょっと帰る途中だった。この辺に昔、学校があったという彼のアドバイスでここで1枚撮影し、また後で会うことにして別れる。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外 #新旧比較写真・海外 ブログ内タグ一覧
…ウラジオの観光スポット > セントポールルーテル教会(Лютеранская кирха Святого Павла)(ロシア語)Otzovik(ロシアの口コミサイト)レビュー > 旅行・観光 > ホテルやツアー > ロシア > ウラジオストク > セントポールルーテル教会(Лютеранская кирха Святого Павла)(ロシア語) 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外#新旧比較写真・海外 ブログ内タグ一覧
…の他はほとんど変わっていない。最近修繕されたのか、やけにきれいだったのが印象的だ。また奥に見える旧スタルツェフの家は、西側も同じ規模に増築されている。 国立銀行の右側の建物は後年、大幅に改築されているが、完全な新築ではないらしく、1F、2Fのアーチ型窓やバルコニーは全く変わっていない。3階以上を装飾なしで増築して、5階建てにしたもののようだ。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外 #道 #新旧比較写真・海外 ブログ内タグ一覧
…見かける。突然、蹄の音が聞こえてきて、かなりのスピードであっという間に目の前を通り過ぎて行ってしまったので、あっけにとられてカメラを構えるのを忘れてしまったが、大通りを駆け抜けてゆく姿はとても気持ちよさそうだった。また3頭だてのトロイカも走っていた。しかしこれはロシアでは日常の風景なのだろうか?。よくのみ込めない光景だ。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外 #道 #新旧比較写真・海外 #商業系 #20世紀 ブログ内タグ一覧
…ら明日の打ち合わせ。M2はどちらかというと旅行モードなので、遊んだり買い物をする事を考えており、調査に関してはあまり熱心ではない。この後、I氏は彼女たちの部屋に出向く。私はやや疲れていたので部屋で日記を書いてごろごろする。 25:00、日記を書いていたら半分寝てしまった。明日のこともあるので本格的にきちんと寝ることにする。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外 #道#新旧比較写真・海外 #商業地 #公共施設 ブログ内タグ一覧
…いては、佐藤洋一氏の著書に詳述されている。この一連のロシア日記の記事でも、同氏の論文等を随時参照している。ウラジオストクの古写真アルバムも同氏が所有・管理しているもの。 Amazon.co.jp > 「帝政期のウラジオストク 市街地形成の歴史的研究」 佐藤洋一著、早稲田大学出版部、早稲田大学学術叢書、2011.31992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外 #道 #新旧比較写真・海外 #ホテル・旅館 #ミュージアム ブログ内タグ一覧
…ジオストク駅は1912年に造られた建物で、南北に長く、駅前はモータープールになっている。中央には前へ突き出る形でホールが造られており、全体は緑色に塗られている。S氏によると、その後1995年になって駅舎は建設当時の色に塗り直され、壁はクリーム、屋根は紫になったということだ。立派な建物だが、基本的には平屋で、さほど大きな建物ではない。しかし何となく愛嬌があり印象的な駅である。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #鉄道 #新旧比較写真・海外 ブログ内タグ一覧
…う。しかし途中で舗装は途切れ、しまいには道自体もなくなってしまった。集合時間が近づいてきたのでウラジオストクホテルに戻る。 帰路、途中で偶然S氏に出くわす。S氏も調査中に別のおじさんに招き入れられたとかで、そこでVodkaを呑むはめになり、更に彼の背中に彫ってある、レーニンとスターリンの刺青を見せられてしまったということだ。歓迎の仕方が不思議というか、手荒いというか・・・。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #道 #高層ビル #工場 #塔ブログ内タグ一覧
…いので、小さなものも観光スポットとして取り上げざるをえない状況もあるのかもしれないが・・・。 おじさんは恐らく、街を調査しているという僕等のカードを見て、親切心からあそこは由緒ある建物だから是非行きなさいと言ったのだった。大声でわめきながらビルに連れて行かれ、一時は半ば監禁状態に追い込まれてしまったので、こちらはかなり困惑し、O氏などは後で「なんだあのジジイ」とか言って毒づいていたのだった。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #オフィス ブログ内タグ一覧
…様式的で古い印象であるのと対照的だ。 ジナモ競技場では今日はドッグコンテストをやっていた。また海岸沿いの道では高校生か大学生が大勢ジョギングしていた。 西通り周辺は持参した地図の歪みが激しく、道幅を測る程度の修正で済ませるわけにはいかない状態だった。また北部では道路の上をガードでシベリア鉄道が走っていたり、引き込み線が道を横切っている箇所もあり、手元の地図とはだいぶ様子が異なっていた。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #映画館・ホール ブログ内タグ一覧
…で一同喜んだ。しかしおかげで今日は午後からケーキ漬けだ。今回のケーキはパウンドケーキのようなもので、クリーム状のチョコレートをつけて食べるものだった。チャイなどの飲み物がなかったので多くは食べられない。残すのも悪いので、ある程度食べてから後は包んでもらって持ち帰ることにする。 24:00頃になってようやく自室に戻る。なんだかんだいって今日も一日フル稼働だった。24:50、日記を簡単に書いてようやく就寝。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…うだ。 18:00に帰寮、即夕食をとる。 18:30 また寮を出て駅へ向かい、G先生とA氏を見送り。日本とは違って車内検札しかないので、構内には自由に入れる。そこで列車の発車間際までホームで時間をつぶす。列車が去った後、少し駅周辺を散策。日本のように売店があったりするわけではないので、することはあまりない。 19:15に再集合、19:45に帰寮。その後はFree Timeになる。日本宛てに絵葉書を書く。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク ブログ内タグ一覧
…ができるのを見た。それに比べるとやはり人の絶対的な量が少ないと感じる。 13:30 全員集合。送迎のバスで寮に戻る。 14:00 寮に戻って昼食。本日はボルシチ。トマトベースの野菜シチューで。ややぬるかったがこれはなかなかおいしかった。ただ、日本で出されているものの方がたぶんずっと美味しい。 14:40 またまた寮を出発して、今度は平和委員会へ向かう。相変わらず忙しいスケジュールだ。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #広場 #高層ビル ブログ内タグ一覧
…族館がある。円筒形の棟が二つ付いた近代的デザインの建物だ。公園には写真屋が出ていた。熊のミーシャ(モスクワオリンピックのマスコット)の絵があってその脇で一緒に写すのだが、平日の昼には誰も客がいない。遠くにはヨットハーバーも見える。公園にはなんだか馬鹿でかい鉄製のゴミ箱が二つ並んでいた。機械を使って回収しているんだろうか?。 13時を過ぎたので中央広場に戻ることにする。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #道 #塔 #ミュージアム #動物 ブログ内タグ一覧
…買うのを控える。 ジュースはビン入りなので王冠を取らねばならないが、栓抜きなどは貸してくれない。途方に暮れていると、おばさんは2本のビンの頭同士を擦って、いとも簡単にフタを開けてしまった。なぜそんなに緩いのかいきなり不安になる。一方、同行のO氏は意地でもおばちゃんには開けて貰おうとせず、その辺のフェンスなどに引っかけて苦労してようやく開けていた。コツを知っていないとやはり簡単には開かないらしい。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #病院 ブログ内タグ一覧
…ある。後年知ったことだが、ロシアでは中国とは異なりあまり蒸気機関車は走ってないようだ。写真の貨物列車は電気機関車ではなかったが、シベリア鉄道はウラジオなど大都市近郊区間では電化されており、通勤電車も走っているそうだ。 帰国してから撮った写真をよくよく見ると、機関車のフロントガラスには花柄のカーテンが日除けのためにつけられていることが判った。どうでも良いことだが、なんだか奇妙な取り合わせで可愛い。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #鉄道 ブログ内タグ一覧
…から場内に入ってみる。特にチェックもなくグラウンドまで入れてしまった。 レーニン記念スタジアム(西側から) Photo 1992.10.10 昼頃にもなり、暖かくて気持ちよい。芝生の上でしばらくくつろぐ。アンツーカーのトラック、芝生のグラウンド、大きなスタンド、電光掲示板、なかなか立派なスタジアムだ。思わずのんびりしてしまったが、あまり目立ってもなんなので外へ出る。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #街並み 海外 #野外劇場・スタジアムブログ内タグ一覧
…があったが、確かに古くても日本車の方が良い。走行性能が良いので安心して乗れる。日本ではあまり考えられないことだが、メーター(速度計)が全く動かないなんて事はこちらではざらなのだ。ただ先程のような持ち込み方が主なので、トラックやバスなどの大型車は相変わらず国産だ。こちらは黒い煙をもうもうと吐いて頑張っているが、いかんせん性能が悪く遅く、街中での渋滞と大気汚染の元凶となっている。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #階段・坂 海外 #自動車 ブログ内タグ一覧
…系の人々らしい。この工法はどうもそこら辺から来ているようだ。 スヴェトランスカヤ通りとの交差点・北東側 第3番の住居 街中の南北方向の道はほとんどが北側の山へ向かって上っている。しかしこのポグラニーチナヤ通りは街の西側にある通りで、丘の西側であるため、北へ行くにつれ下っている。地形とは関係なくグリッド状に道路網を計画したため、平行する道路がねじれるような状況が生じている。 1992年10月 ロシア日記・記事一覧#ウラジオストク #古い建物 海外 #街並み 海外ブログ内タグ一覧