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…TIE(アルティエ) Photo 2024.3.30 親しんだレーンに別れ 静岡・静活ボウル建て替え|47NEWS(よんななニュース)静岡市に新たな複合施設「ARTIE(アルティエ)」オープン ボウリングや飲食楽しむ新名所に - LOOK 静岡朝日テレビ複合施設「ARTIE」2月25日オープン 静岡 ボーリング場など /静岡 | 毎日新聞レーザークレー - Wikipedia静活 - Wikipedia静岡の建築・土木構築物#失われた建物 静岡県 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…三業地の雰囲気を最もよく残している場所で、松泉はその街並みに大きく関係する建物だったが、2009年に売却、解体されたようだ。この建物を取得した会社の2009年9月のブログ記事(下記)に解体中だと記されている。 かつての白山三業地に残る待合「松泉」 文京区白山散歩 その2 - とくとみぶろぐ文京区白山1丁目 花街2009-09-18 - 不動産購入お助け【タミプロ】Tokyo Lost Architecture#失われた建物 文京区 #遊興施設 #料亭 #三業地ブログ内タグ一覧
…の多くは改修されていたが、丸柱同様にタイルが市松模様に貼られた壁も一部には残されていた。 Photo 2019.7.9 2019年春に南側の建物が取り壊されたため、南側の側面が一時期は見えていた。ここも壁面は洋風下見板張り。写真右端に小タイル張りの円柱が見えているが、2階は増築されていて往時の面影はなかった。 木苺、テングヤ/東向島1丁目 - 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture 所在地別リスト #失われた建物 墨田区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…ルで目隠しされていた。 東側から Photo 2012.4.15 1枚目写真の左端、野山アパートの東隣は、写真の少し前まではそこにも旧カフェーの建物があったようだ。このため野山アパートの東側壁面はほぼ見えていなかったが、空き地になったため一時期は見えていた。2階壁面は洋風下見板張り。隣接する建物と軒先など一部が繋がっていたのか、一部が青いトタンで補修されていた。 Tokyo Lost Architecture 所在地別リスト#失われた建物 墨田区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…入口があったが、内部の間取りや入口の使われ方は知らず。 Photo 2007.10.21 同じく表と裏をつなぐ路地の側にあった入口。裏通りに近い側のこの入口だけは、引き戸ではなく幅の狭い洋風のドアになっていた。 旅館桜井/東向島1丁目 | 昭和回顧録 建築編鳩の街(墨田区東向島1丁目) - 風呂屋の煙突鳩の街〜京島(旧桜井旅館)近日中に解体予定。 - 古今東西舎Tokyo Lost Architecture 所在地別リスト #失われた建物 墨田区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…の青色タイル、腰のあたりから下は黒色のタイルだが、これも場所によって大きさが異なるものを使っていて、全体にかなり手の込んだデザインになっていた。 下記リンク先の記事によれば、この建物は2009年8月に火災に遭ったという。Google ストリートビューの過去画像を見たところ、2010年1月には解体中だった。 華やかなタイルの家/東向島1丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture 所在地別リスト #失われた建物 墨田区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…Photo 2010.5.21 昔はデパートの屋上に遊園地がしばしばあり、観覧車があるところも多かった気がするが、現在は昔ながらの屋上観覧車はわずかしか残っていないそうだ。 Photo 2022.12.16 屋上遊園地がなくなってからは多目的屋上広場「エンジョイ広場」となっている。 丸広百貨店川越店 - Wikipedia旧山吉デパート/川越市仲町 | 昭和回顧録 建築編日本国内の建物や街並み Index#失われた建物 埼玉県 #デパート・百貨店 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
旧カフェー「笑福」/井上荘所在地:江東区 東陽1-31-4構造・階数:木・2建設年:戦後まもなく解体年:2003〜04(平成15〜16)Photo 2002.11.6 東陽1丁目、大門通りから東へ入った先、赤線エリアの東端にあったかつてのカフェーの建物。洲崎は戦災で焼失しているので、この建物も戦後まもない時期に建てられたものだろうと思われる。 洲崎遊廓は1888(明治21)年に設置。戦後は洲崎パラダイスとしても知られた。1958(昭和33)年の売春防止法の施行以後は大半がアパ…
….18 根岸には2000年頃までは旧料亭と思しき建物がいくつか残っていて、営業している御座敷も若干あった。2008年頃時点で営業を続けている料亭は「杉田」「福井」「増田」の3軒と下記書籍にも記されている。その後15年以上が経ち、現在は割烹料理店などがいくつかある状況で、いわゆる料亭はなく、往時の建物もほぼないようだ。 参考『東京 花街・粋な街』上村敏彦、街と暮らし社、2008 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…22軒、芸妓53人だった。その後は次第に衰退し、1972(昭和47)年時点では、料亭9軒、芸者が約20人。昭和50年代半ばには見番もなくなったという。料亭箱根は後期まで営業していたもののひとつ。 北東側から 手前のえんじ色の壁の建物も旧料亭箱根の一部 参考『東京 花街・粋な街』上村敏彦 著、街と暮らし社、2008 駒込(旧神明花街)かつての料亭「箱根」の建物。 - 古今東西舎 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…り、ゼンリンの住宅地図では最も古い1970年代のものでも屋号が判らない。しかし1953(昭和28)年の火災保険特殊地図には「(料)あさひ」と記されている。 また、戦前、1937(昭和12)年の火保図には、屋号の記載はないが「待合」と記されている。一帯は戦災では被災しなかったようなので、この建物も戦前のものだったのかもしれない。 平成時代中頃に解体され、現在は駐車場になっている。 Tokyo Lost Architecture#失われた建物 文京区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…れているあたりはカフェー建築らしいものだった。また玄関も斜めに引っ込んだ形で、ちょっとお洒落な造りになっていた。 写真の時もまだ旅館の看板は掲げてあり、住宅地図でも旅館錦水として記載されていたが、90年代末には廃業したらしく、2000年代初めまでに解体された模様。現在、一帯は静かな住宅地になっている。 『玉の井色街の社会と暮らし』日比恒明 著、自由国民社、2010Tokyo Lost Architecture#失われた建物 墨田区 #遊興施設 #ホテル・旅館 ブログ内タグ一覧
…の店だったという。赤線の廃止後は普通の住宅だった模様。一見すると普通の住宅かアパートだが、2階コーナー部の庇が丸くなっているあたりはそれらしい感じだった。 左奥にも半円状の壁を立てた看板建築があるが、こちらは美容院だったもの。現在はこれも建て替えられて消失している。 『玉の井色街の社会と暮らし』日比恒明 著、自由国民社、2010鈴蘭荘、喫茶ナナ/墨田3丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture#失われた建物 墨田区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…く手入れされていて、塀や玄関まわりもきれいに保たれていた。ご縁がなかったので、残念ながら内部、御座敷などの様子は知らない。また、建物は写真の頃まで残っていたが、料亭としては2009年頃までに廃業していたようだ。 Photo 2017.6.11 十二社(じゅうにそう)の池(新宿区西新宿) : 東京の水 2009 fragments BCR日記: 江戸の面影・十二社の池(その2) Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…トの保養施設があって、「港クラブ」もその一つだったのかな、などということも想像されるのだった。 2024.8.26追記 その後、旧版の住宅地図等を見たところ、ここが東芝港クラブとなったのは1970年代中頃以降だったことが分かった。それまでは個人宅。なお、戦後版(1950年代)の火災保険特殊地図では、東禅寺の門前(現 高輪3-20)に東芝港クラブが記載されている(現在は駐車場)。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…少し後の1997年頃には歯科もやめたようで、この頃以降は、歯科の看板は掲げられていたが、住宅地図では個人宅として記載されていた。 既往記事:人形町 - 都市徘徊blog(2014.7.27)多和田歯科/日本橋人形町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション三倉屋米店、京樽/日本橋人形町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション花街の紹介(芳町) | 東京花柳界情報舎Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #医院 #木造店舗 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…、その乙種料理店(達磨屋)だったかどうかは確証がない。ただ板塀や門柱、玄関の唐破風の庇などにはそれらしい雰囲気が残されていた。外壁がモルタル塗りなのは戦後のどこかの時点で改修されたためではないだろうか。 撮影時はまだ旅館として営業していたようだったが、いつのまにかなくなっていた。建物の消失と共に街の記憶も次第に薄れていく。 川越市西小仙波町・喜多院裏の遊郭跡 - 東京DEEP案内日本国内の建物や街並み#失われた建物 埼玉県 #ホテル・旅館 #遊興施設 #赤線 ブログ内タグ一覧
…ったようで、最後の頃には三福荘というアパートだった。 正面が左右対称になっているあたりは旧カフェー建築系の建物を思わせるが、それだけなので旧カフェー建築なのかどうかははっきりしない。1階部分の店舗?の様子が分かればと思ったが、シャッターが閉じられた状態しか知らない。玉の井や鳩の街、洲崎ほど明瞭な洋風デザインの建物ではなかったのでやはり確証はない。 東南側からの全景 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 足立区 #遊興施設 #集合住宅 ブログ内タグ一覧
…もない。軒先に白い円があるが、往時はここに屋号かなにかが記されていたのではないだろうか。 千住柳町には90年代までは赤線時代の建物が数軒残っていたが、現在はほぼなくなっている。この建物も撮影後数年のうちに解体されたらしく、2004年版の住宅地図では既に月極駐車場になっている。 注)東京都全住宅案内地図帳 足立区(1962発行?)による。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 足立区 #遊興施設 #ホテル・旅館 #集合住宅 #木造店舗 ブログ内タグ一覧
…られており、塀も撤去されていた。 2023.5.11追記 下記『江戸四宿を歩く』のp.86に、「石井医院には、かつての妓楼「伊勢孫楼」の面影をとどめるレンガ塀が残っている。」という記述があり、写真のレンガ塀はかつては妓楼の塀だったもののようだ。 『江戸四宿を歩く−品川宿・千住宿・板橋宿・内藤新宿』 江戸・東京文庫⑦ 江戸の名残と情緒の探訪、街と暮らし社、2001 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 板橋区 #遊興施設 #旧中山道 #旧街道 タグ一覧
…く庭も小さかったようだが、建物が黒板塀で囲まれ、普通より凝った門があるようすはやはり料亭ならでは。かつてはこの店も賑わっていたのだろう。 最後の頃、建物の外観は老朽化していてあまり魅力的とはいえなかったが、内部はきれいだったのだろうか。入ったことがないので営業していた頃の実際の様子は不明。 建物は2008年頃まで残っていたが、いつ頃まで営業していたかは未把握。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 豊島区 #遊興施設#三業地 #料亭 ブログ内タグ一覧
…文字はナシ。ネットには池袋が支店という記載もあり、なんらかの関係はあるようだが詳細は知らず。 キャバレー日の丸は2008年か2009年に閉店。2009年12月時点のGoogle ストリートビューでは、ネオンサインもなくなりテナント募集中になっている。 キャバレーが入居していた曙ビルは2022年7月時点でも存在していて、外壁はまた別の色に塗り替えられている。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 豊島区 #古い建物 豊島区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…は旧遊廓だったと思しき旅館の看板もあったが、周辺はほとんどが住宅やアパートで、知らずに通りかかるとかなり不思議な一角になっていた。 2019.3.16記 2022.12.21追記 『玉の井色街の社会と暮らし』(日比恒明、自由国民社、2010)によれば、かつてはこの建物は「時の家」というカフェーだったようだ。また、赤線廃止後は一般の住宅になっていた(住宅地図などによる)。 Tokyo Lost Architecture#失われた建物 墨田区 #住宅系 #遊興施設ブログ内タグ一覧
…売春防止法施行まで赤線として営業したという。当時の建物が90年代までは幾つか残っていたが、現在は大半が建て替えられ、当時の面影はほとんど無い。 2022.12.18追記 『玉の井色街の社会と暮らし』(日比恒明、自由国民社、2010)によれば、この建物は「鹿島家」というカフェーだったそうだ。また、住宅地図などで確認したところ、玉の井遊廓の廃止後はメリヤス工場となっていた。 Tokyo Lost Architecture#失われた建物 墨田区 #住宅系 #遊興施設ブログ内タグ一覧
…に入口が3ヶ所あったようで、洋瓦の載った庇と、豆タイルが張られた円柱のある出口跡が残る。 Photo 2002.11.6 売春防止法の施行の後はアパートになり、入口は中央の1ヶ所になっていた。この建物もアパートとして2000年代まで存続していたが、2003〜05年頃に解体され、跡地はマンションになっている。 茂木アパート/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #遊興施設 #集合住宅 ブログ内タグ一覧
…て記された本などでしばしば掲載された建物だったが、10年ほど前に解体され、現在は9階建ての共同住宅になっている。 参考文献: 『赤線跡を歩く』木村聡、自由国民社、1998 『花街・色街・艶な街 − 色街編』上村敏彦、街と暮らし社、2008 弁天マーケット/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション 今も残る赤線時代の建物「洲崎パラダイス」 : ~東京レトロ散歩~ Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #遊興施設 #マーケット ブログ内タグ一覧
…ヨン的な装飾が付いていたあたりに、カフェー建築の名残を見て取ることができる。 撮影時はちょっと装飾的な木造モルタルの洋風看板建築といった感じで、左側(東側)が「スナックらん」、右側(西側)は「かにや(小料理屋?)」だった。この後、建物と店は2000年代まで存続していたが、現在はマンションになっている。 雲形装飾のある家、スナックらん/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 江東区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
…ない。 Photo 2007.5.27 売春防止法の施行後は売却されて旅館となり、1970年代の一時期は会社の事務所、最終的にはアパートになっていた。雑誌などでもしばしば採り上げられていたが、10年ほど前に解体されたらしい。売春防止法の施行から60年以上が経ち、かつての玉の井の面影を残す建物も次第に少なくなっていく。 カフェー東洋/墨田3丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture #失われた建物 墨田区 #遊興施設 #集合住宅 ブログ内タグ一覧
…ら「葉ま乃や」の透かし彫りがあった。いつ頃の建物だったのかは分からないが、右から屋号が記されていることからするとやはり戦前、昭和初期以前のものだったのだろう。下記リンク先の記事には大正時代からの老舗料亭という記載も見られる。 白山三業地(東京都文京区) | ★KENTAの写真倉庫★ かつて花街だった丸山福山町に残る濱乃家などの料亭の名残 白山三業地 ~樋口一葉『にごりえ』の舞台を歩く Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #遊興施設 タグ一覧
…1年春頃まではそのまま残されていたが、その後解体された。そしてこの新宿東宝会館と新宿コマ劇場の跡地には、シネコンとホテルを併設した新宿東宝ビルが2015年に完成している。 新宿プラザ劇場 - Wikipedia 新宿東宝ビル - Wikipedia 新宿プラザ劇場 (港町キネマ通り) 歌舞伎町「新宿プラザ劇場」、10月31日閉館へ-39年の歴史に幕 - 新宿経済新聞 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #映画館・ホール #遊興施設 タグ一覧