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…ている。 第一鉄鋼ビル同様、当初の建物は絶対高さ規制下で8階建てで建てられ、建築基準法が容積率制に移行した後に9階が増築されたようだ。 第一鉄鋼ビルと合わせて長い壁面を見せていたが、2013年に解体。跡地に新築された鉄鋼ビル南館(20F+B3F+RF)は、6〜19Fがサービスアパートメントとされ、オフィスだけではない街並みとなっている。 鉄鋼ビルディング - WikipediaTokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス ブログ内タグ一覧
…、35F、約166m、2007年竣工)、丸の内トラストタワー本館(中央左、37F、178m、2008年竣工)が背後に建ち並ぶ状態になっていた。 この後、都市再生特別地区の指定を受け、2013年から新ビルの建設が始まり、2015年に26階建ての新しい鉄鋼ビルディング(本館)が完成している。 鉄鋼ビルディング - Wikipedia第一鉄鋼ビル/丸の内1丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス ブログ内タグ一覧
…。道路側は柱の間の少し引っ込んだ位置に梁が入ったグリッド状のファサードとしていて、装飾がほぼない端正で合理的デザインの校舎建築となっていた。 また、入口わきの黄色のオブジェ(排気塔?)は、全体的にモノトーンな外観のなかで、一つのアクセントになっていた。 日本大学理工学部・大学院理工学研究科 - WikipediaTokyo Lost Architecture 日本大学理工学部 1号館、 5号館、 6号館#失われた建物 千代田区 #日本大学 #大学 #モダニズムブログ内タグ一覧
…南棟) Photo 2021.4.12 通りの南側には前項の5号館と、この6号館、そして9号館が建っていたが、3棟は解体されて、跡地はタワー・スコラ(南棟、2018.7竣工)とその公開空地となっている(5号館の解体と公開空地の整備完了は2019.7)。 日本大学理工学部・大学院理工学研究科 - WikipediaTokyo Lost Architecture 日本大学理工学部 1号館、 5号館、 9号館#失われた建物 千代田区 #日本大学 #大学 #モダニズムブログ内タグ一覧
…年近くにわたって使い続けられていたが、隣接地(1枚目写真奥)に高層の新校舎「タワー・スコラ」(南棟)が完成した後、解体された。 解体後の跡地は、タワー・スコラの公開空地となっている。また、レリーフは新しい建物内に移設されているという(現状は未把握)。 日本大学理工学部・大学院理工学研究科 - WikipediaTokyo Lost Architecture 日本大学理工学部 1号館、 6号館、 9号館#失われた建物 千代田区 #日本大学 #大学 #モダニズム ブログ内タグ一覧
…それらがまとめられて巨大な超高層ビルになったりして、以前の面影が全くなくなり、訪れるたびに街の様子が変わっていくのには驚くばかりだ。 東京新住友ビルは単独で建て替えられて2015年に三井住友銀行東館となったが、やはり超高層化して、29階、地下4階のビルになっている。 三井住友銀行本店ビルディング - Wikipedia東京新住友ビルディング - WikipediaTokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス #モダニズム ブログ内タグ一覧
…わせて北東側がカットされたような平面形になっていた。写真でも右側の角は直角ではない。 東京国際郵便局が江東区へ移転した後は空きビルになっていたが、その後、一帯が建て替えられて、跡地には大手町プレイスが完成している。 東京国際郵便局 - Wikipedia東京国際郵便局/大手町2丁目 | 昭和回顧録 建築編旧・東京国際郵便局 | 収蔵庫・壱號館Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス #郵便局 #公共施設 #モダニズム ブログ内タグ一覧
…が、2013年には逓信総合博物館が閉館になり、建物も2014〜15年に解体された。 逓信ビルの跡地には大手町プレイス ウエストタワーが2018(平成30)年に完成した。建物の低層部には水平な庇が付けられていて、かつてのビルの記憶を継承するデザインとされている。 逓信総合博物館 - Wikipedia逓信ビル/大手町2丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス #郵便局 #ミュージアム #官公庁ブログ内タグ一覧
…思う。南北の面に濃い色が配されているのもすっきりした印象を与える。 左)三井物産別館 右)三井物産ビル Photo 2011.1.9 別館との間のようす。外側に出ている柱梁は金属板で覆われていてオフィスビル建築らしい端正な姿。 跡地には高さ200mのOtemachi Oneタワーほかが同街区に2020(令和2)年に竣工している。 三井物産ビル - WikipediaTokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス #高層ビル ブログ内タグ一覧
…ているため黄色く写っている) 解体に際しては鹿島建設が開発した「鹿島カットアンドダウン工法」を用いたそうで、上部を残したまま最下部を解体し、ダルマ落としのように次第に上階を下ろしていった。このため離れた場所からみると、外観はそのままで高さだけが低くなっており、途中段階では少々奇妙なプロポーションに見えていた。 りそな・マルハビル - WikipediaTokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #オフィス #高層ビル #モダニズム ブログ内タグ一覧
…008年時点では既に日比谷マリンビル。 また、1981年の写真で右端に見えているのは三信ビル。クラシックな印象のビルだったが、北東側の壁面は横連窓でモダンなファサードだった。 1981年の写真からは45年、2008年末の写真からでも17年以上が経っているわけで、都心部ではどんどん建て替えが進んでしまうのだなと改めて思う。 東宝ツインタワービル - Wikipedia#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 千代田区 #街並み 千代田区 #失われた建物 千代田区 ブログ内タグ一覧
…kipedia鈴木忠治 - Wikipedia 木子幸三郎 - Wikipedia鈴木忠治邸(駐日ローマ法王庁): ★近代建築探訪★鈴木忠治邸(駐日ローマ法王庁)の様子: ★近代建築探訪★鈴木忠治邸洋館:東京都立図書館デジタルアーカイブ TOKYOアーカイブ駐日ローマ法王庁、東京本願寺(建築家・木子幸三郎作品探訪) : 関根要太郎研究室@はこだてTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #官公庁 #洋館・洋風住宅 #木子幸三郎 ブログ内タグ一覧
…o 2006.5.14 飯田橋駅の東口から九段下交差点へ至る目白通りに面して建っていたモルタル看板建築。2階の軒先回りに少し洋風の装飾が施されているが、正確な様式建築デザインではないのはやはり看板建築ならではのこと。 田中双輪社、ライオンクリーニング/飯田橋2丁目 | 昭和回顧録 建築編【ライオンクリーニング】〜飯田橋の看板建築 - スポンサー広告千代田区Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
砂防会館所在地:千代田区 平河町2-7構造・階数:RC・5+B2建設年:1957(昭和32)解体年:2016(平成28)Photo 2011.2.7 一般社団法人全国治水砂防協会が本部ビルとして建てた建物。 テナントビルでもあり、1966年に自民党本部ビルができるまではここの2、3階にに自民党本部があった。自民党本部が移転した後も自民党の議員や派閥の事務所が置かれている。 1階玄関付近はピロティ、2〜5階の南面は横連窓で開放的と、モダニズムデザインのオフィス建築になっていた。…
…店・栄ヤ」と記されていて、以前は「栄ヤ」(栄屋?)という店だったようだ。その頃から既に顔の絵は掲げられていたのだろう。70年代の住宅地図では栄ヤの名はなくなり、「顔のシャツ」が店名になっている。 閉店後もしばらくは残っていたが、昨年解体。ある意味ランドマークになっていた建物も消えていった。 顔のYシャツ - 千代田遺産神田名物「顔のYシャツ」が取り壊しへ - WWDJAPANTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 ブログ内タグ一覧
…花柄の中に「與」の字をあしらった緑色の円盤プレート?が目を引く。モルタル塗りの壁面には横線が引かれ、パラペットは小さな庇状にせり出していた。装飾はあまりないがお洒落な雰囲気の建物だった。 建物はこの写真の少し後に解体された。左側の2階建てなどもその後取り壊され、跡地には9階建てのオフィスビルが建っている。 志村印刷、他/神田司町2丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…to 2013.4.25 大丸有(大手町・丸の内・有楽町)の再開発が進み、周辺には大きなビルが多くなった。洗練されたデザインの建物だったが、解体直前には巨大なビル群の中で残念ながら埋没してしまっていた。 みずほ銀行前本店ビル - Wikipedia失われる名建築 村野藤吾 日本興業銀行本店 | 冨田秀雄建築アトリエ(旧)日本興業銀行本店 - 千代田遺産Tokyo Lost Architecture#失われた建物 千代田区 #村野藤吾 #オフィス #モダニズム ブログ内タグ一覧
…なっていた。また、2010年代には石板が貼られた部分以外のモルタル外壁が鮮やかな黄色に塗り替えられた。裏通りの建物がかなり派手な色彩になったのにはちょっと違和感があったが、そのときは残して行くために塗り替えたのだろうと思われた。だが少し後にはやはり解体されて新しい建物が建てられたのだった。 林文具店/神田小川町1丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture 所在地別リスト #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…屋」と記されており、恐らく戦前に既に開業していた店だったようだ。一帯は戦災では焼失しなかった地域なので、建物もあるいは戦前のものだったのかもしれない。 同所では写真周辺の建物がほぼ同時期にみな取り壊された。その後、街区全体が開発され、2018年にパークホームズ千代田淡路町という12階建てマンションが竣工している。 神田万彦、理容室ハシモト/神田須田町1丁目 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
… 2008.4.4 門柱が独特な造形だったのも印象的。このスタイルだからなのか門扉はなし。奥の扉は庭へ通じているもの。 Photo 2009.2.22 全体には装飾がほとんどなかったが、道路沿いの側面には半円形の窓があって洒落ていた。道路に近い部分に手間を掛けた設計だったのだろうか。民家/富士見2丁目 - ぼくの近代建築コレクションK邸 千代田区富士見 - 東京ノスタルジアTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #戸建て住宅 ブログ内タグ一覧
…いもしていたのかもしれないが、戦後間もない時期の火保図(1952年)では、井上サイクルと記載されているので、基本はやはり自転車屋さんだったのだろう。 モルタル平入り看板建築で、2階の窓まわりの壁はトタンかアルミに換えられたかしたようだ。一帯は戦災では焼失しなかったエリアなので、もしかすると戦前に建てられたものだったのかもしれない。現在は5階建ての雑居ビルになっている。Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…、会社の創立期、1950年頃だったのではないかと思われる。 木造2階の小さなオフィス。モダンな外観で小路を挟んで神田蓄電池のひとつ西側に建っていた。奥が前項の神田蓄電池。 写真の少し後に解体され、同街区は住友不動産千代田ファーストビル南館になった。現在は、あかね書房もこのビル内にある。あかね書房、再開発で新ビルに 07年11月に竣工 - The Bunka News デジタルTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス ブログ内タグ一覧
…ル屋根があり、その部分は屋根裏3階建て。ギャンブレル屋根を用いた3階建てなので、震災後から戦前期のものだったのではないかと思われる。 90年代以降は別の居住者の名が記されていたりして、いつ頃まで同社の倉庫として使われていたのかはわからなかった。この数年後の2014年に解体され、現在、同所はコインパーキングになっている。有限会社神田蓄電池Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #モルタル看板建築 #ギャンブレル屋根 #倉庫・蔵 ブログ内タグ一覧
…特殊地図には記載があるので、戦後まもなく建てられたものだったのではないだろうか。 Photo 2010.6.6 鉄道日本社は過去には鉄道系の書籍や雑誌を出版していた会社。鉄道ではないが「自動車工学」という雑誌も2016年までは出していたようだ。 窓枠や玄関扉は木製で、玄関は洋風の観音開き。2018年3月時点のGoogleストリートビュー画像には解体のお知らせ看板が写っている。Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス ブログ内タグ一覧
…923(大正12)年に創業したというが、神田富山町あたりは戦災で焼失したそうなので、写真の建物は戦後のものだったのではないだろうか。角地の店舗ではあるが、和風の木造2階建てはある意味昔ながらの典型的な蕎麦屋さんの店構え。 この写真の後、2001年の住宅地図では3階建てと記されているので、1997〜2000年に建て替えられたのではないだろうか。蕎麦店は現在も同所で営業している。Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #木造店舗 ブログ内タグ一覧
…郎の名は、1950年代後半の火保図で既に記されており、40年以上営業していたお店だったようだ。 ライフとS邸の2棟は2012年頃に解体され消失。桃太郎のほうは2005年頃に解体されたようだ。現在、一連の建物の跡地にはPMO神田司町というビル(2013年9月竣工)が建っている。ライフ、桃太郎/神田司町2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…60年代以降、1階はパーラー、ネクタイ屋、釣具店、洋品店、立ち食いそばなど、いろいろなお店になっていたようだ。また90年代、2階はカラオケだったようだ。 ただ撮影時、それらは全て閉店しており、この翌年には解体されてしまった。その後は2002年までコインパーキング、2004年以降はオフィスビルになっている。東京ビル/神田司町2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #ホテル・旅館 #近代建築 ブログ内タグ一覧
…あったが、角地にあり交差点に面したコーナー部にアーチ型の装飾があった。昔はアーチの下に店の名前の文字が縦書きで付けられていたのだろう。 なお、西隣(写真左手)の銅板張り看板建築はサカエヤクリーニングで、こちらは2022年7月時点で現存(Google ストリートビューによる)。大信不動産、サカエヤクリーニング店/神田多町2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
…ったが、後期はラーメンとカレーの店になっていた。2021年10月に一時閉店した際はニュースにもなったが、翌年2月に少し離れた別の場所に移転して営業を再開している。 Photo 2009.2.14 Photo 2014.3.16松本家、栄屋、谷川印刷/神田多町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション古い建物と街並みをもとめて: 今なお現役! 神田のミルクホールTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…hoto 2005.3.27 美舟の方は、2000年頃には廃業してしまったのかもしれず、店頭にあった自販機も撤去されている。ただ洋品店の方は2010年頃までは営業していたようだ。その後は自販機コーナーになっていたが、5年ほど前に解体された。2022年時点ではコインパーキングになっている。あんくる、かわむら洋品店/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧