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…るが、私の方の2011年の写真ではそれも無くなっている。 アサクラ喫茶店の建物は2011年末から2013年前半までの間に解体され、その後はコインパーキングになっている。隣の家も2014年頃に解体、宝扇堂タバコ店も2016年には廃業して、同年か2017年に解体され、共にコインパーキングになっている。 上野黒門町「アサクラ」 | 東京街歩き〜旅と車窓と徘徊の日々Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…、右側は畳店だったようだ。 Photo 2011.5.15 通りの中で印象的な建物だったが、2枚目の写真の後、改修されて銅板張りではなくなり、さらに3年ほど前には左隣と合わせて建て替えられた。 なお、右手の出桁造りの商店(小山道具店)の方は、2022年10月時点のGoogleストリートビューでは残っている。 小山道具店、他/南品川2丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture#失われた建物 品川区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…左手前から桝水、神原商店(文具)、関根商店(野菜・果物)、加藤薬局 追記 コメント欄に、桝水商店は医療用機械・器具を取り扱う商店だった、また近年は車庫になっていたとの情報を頂きました。関連記事のリンクも追加します。 旭商事不動産、他/本郷2丁目 | 昭和回顧録 建築編本郷2丁目の商店建築群 : レトロな建物を訪ねて株式会社桝水 文京区本郷 - 東京ノスタルジアTokyo Lost Architecture#失われた建物 文京区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
理容オハラ所在地:文京区 大塚5-16構造・階数:木・2建設年:?解体年:2014(平成26)Photo 2006.3.24 田口邸と同様、大塚坂下通り沿いにあった看板建築。こちらはモルタル塗りで、上部はトタンがもとの壁面の上に被せられていた。上部と左サイドの傷みが激しかったのか、その部分だけが補修され、下のほうは昔のままになっていた。切妻、妻入りで、中央上部が傘型になったいたのが上部の特徴。 2階中央の金属製の出っ張りは用途不明。梯子のようにも見えるが、それにしては間隔が開…
…20)Photo 1996.10.12 大塚坂下通りに面して建っていた銅板張り看板建築。昔はなんらかの商店だったのだろうと思われるが、業種や屋号は知らず。 前方が高い片流れ屋根だが、3階建てではなかった模様。銅板は、上部は菱形、2階は下見板状に張られていた。側面はトタン張り。 少し前まで残っていたような気がしていたが、調べてみたら17年も前に無くなっていた。 Tokyo Lost Architecture#失われた建物 文京区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…ている。だがこの部分は環状4号線の予定地のようなので、もしかすると現在の建物も解体されるかもしれない。隣の君塚食糧販売所も道路予定地かもしれないが、こちらは予定地かどうか微妙な位置で、2023年9月時点のGoogle Street Viewでも建物が残っていて、お店も営業を続けている。 二本榎通り沿いの看板建築 港区高輪 - 東京ノスタルジアTokyo Lost Architecture#失われた建物 港区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
旧二本榎市場/旧高輪不動産所在地:港区 高輪3-3構造・階数:木・2建設年:戦前?解体年:2008〜09(平成20〜21)Photo 2003.9.7 高輪、二本榎通りに面してあったトタン張りもしくは銅板張りの看板建築。全体が水色に塗られていて、銅板だったのかトタンだったのかは見分けがつかないが、銅板張りは一枚一枚がもう少し小さい気がするし、緑青をふくのでペイントされないことが多いので、どちらかというとトタン張りだったのかもしれない。 戦前の火災保険特殊地図では二本榎市場、戦…
…らの街並みはほとんど残っていない。 一方、二本榎通りの方は広域幹線道路ではなく地域内の道であるため、昭和初期以降は拡幅などはされなかった。また開発もさほどなかったので、近年まで昭和初期の看板建築などが建ち並ぶ通りになっていた。 しかし戦後80年が経ち、戦前の建物は築100年近くになり、世代交代や転出などもあって、近年はこの道沿いでも昔の建物はかなり減っている。 Tokyo Lost Architecture#失われた建物 港区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
蛇の目寿し所在地:中央区 銀座2-13構造・階数:木・3建設年代:戦前?解体年代:2010〜13(平成22〜25)Photo 2006.4.7 銀座2丁目と3丁目の境の通り(銀座マロニエ通り)に面して建っていたトタン張り看板建築の寿司屋。建物の形式から考えると、戦前に建てられたものだったのではないかと思われる。2階から上はトタン張りで赤茶色に錆びていた。側面もトタン張り。通り側の3階の窓は小さく、3階は屋根裏部屋のような感じ。屋根はバタフライ型で、前後が高く中間が低い形。 下…
…と左側はモルタル塗りで、アーチ内の壁面に装飾が付けられていた。 もとは1階が店だったのだろうが、写真の時にはお店は一軒だけで他は既に仕舞屋になっていた。1階より2階の方が階高が高い(もしくはそう見える)のが少々不思議。 中央区ホームページ/中央区近代建築物調査 | 小網町の三軒長屋看板建築小料理 銭形/日本橋小網町 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
… 2階前面には雨戸・戸袋がない縦長の窓が左右にあるだけなので、銅板張りの平らな部分がかなり広い。中央にはかつては店名が掲げられたりしていたのだろうか。庇がないので窓だったわけではないようだが。 銅板張り看板建築の場合、戸袋に青海波などの凝った模様が付けられることがあるが、ここではそのようなデザインはなく、銅板が淡々とタイル状に張られている。 Tokyo Lost Architecture 所在地別リスト #失われた建物 豊島区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…れていた。 2軒つづきだったが、写真屋の右隣はこの写真の時には既に仕舞屋だった。70年代の地図では「みうらや」、80年代には税理士事務所。 銅板張り看板建築は下町に多いが、山の手エリアでも昔ながらの商店街でときどき見掛ける。往々にして駅前のメジャーな商店街ではなく、そこからちょっと外れていてあまり開発圧力が加わらない少々寂れた商店街であることが多いのだが。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中野区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…ったのかもしれない。 1F中央奥に引き戸の入口があるが、右手前も入口のようになっている。工場と事務所、もしくは工場と住宅、それぞれ別の入口になっていたのかもしれない。また、2Fは銅板張りだが、1Fはそうではなかった。 三ノ輪駅西側のこの一角も第二次大戦の空襲では焼失を免れた一角だったようで、戦前の看板建築がいくつか残っていたが、それらも次第に減少している。 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 台東区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…ることが判るが、1990年代後半にその活動は終了したようで、この頃以降は住宅地図でも個人宅として記載されている。 窓や引き戸はアルミサッシに替えられていたが、欄間状の部分には木製枠の小窓が一部残っていた。また、出窓部分の窓台まわりや窓上の庇も丁寧に銅板で覆われていた。 同志職業紹介所、伊東米店/本郷2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…根は寄棟瓦葺きだったようで、ファサード上部に軒先がちょっとだけ見えていた。銅板張り部分は剥がれたり欠けたりしておらず、比較的きれい。かつては袖看板があったのか、右端には道路側へ棒が張り出している。また、1階のビニール庇の少し上には白い出っ張りが2つある。昔はここに店の看板が載っていたのかもしれない。 三豊商店、他/本郷2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…、前述のように下記『たてもの図鑑』で採り上げられていた。 しかしこの店も、その後なくなり、2006年の住宅地図では再び空き家。その後、2、3年のうちに解体されたようで、2010年のGoogleストリートビューでは既に消失している。 たてもの図鑑 シャンバ 麻雀明朗、バーバースワン/日本橋人形町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根 #マンサード屋根 ブログ内タグ一覧
…いて、2階の戸袋は一文字葺きと菱葺きを組み合わせたもの。 1階の軒庇は瓦葺きで家紋が付けられており、持ち送りの部分もきれいに銅板で覆われていた。 店の方は2016年頃に閉店したという。建物の方は仕舞屋としてその後も残されていたが、今年1月に残念ながら解体されたそうだ。 中央区ホームページ/亀屋 亀谷家、やな川水産/築地7丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…わりから令和に掛けて解体された。築地界隈には第二次大戦の空襲被害から免れていた地区もあり、震災後から戦前に建てられた銅板張り看板建築が数多く残されていたが、老朽化や代替わり、マンション・オフィス需要の高まりなどもあって、近年は解体されることが増え、それらは少なくなっている。 中央区ホームページ/湯浅屋 細越菓子店/築地7丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…1950(昭和25)年の火災保険特殊地図では「久長工具」となっているが、1970年代以降の住宅地図では個人宅で仕舞屋だったようだ。2000年代頃以降は「アトリエ久長」。Google ストリートビューでは、2020年2月までは存在を確認できたが、2021年6月の画像では既にコインパーキングで、この頃に解体されて消失したようだ。 中央区ホームページ/久長家住宅 Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #出桁造り #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…リンク先掲載の写真を見ると、平入りだったことが判る。 青果店は2000年代前半までは営業していたようだが、その後、10年ほどは仕舞屋になっていた。界隈には戦前に建てられたと思われる銅板張り看板建築が点在していたが、近年はやはり減ってきている。 旧杉浦商店 品川区南品川 - 東京ノスタルジア杉浦青果店、浅田電気店/南品川6丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 品川区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…年のペットショップとは異なる昔風のお店だったらしい。 建物は北隣に少し見えている山戸酒店と同時期に解体され、跡地には2003年にマンションが完成した。山戸酒店の方は少なくとも戦後まもなくから続いていたお店で、マンションになった後もその1階で営業していたが、こちらも10年ほど前に店を畳んだようだ。 砂糖小売専門店/小石川2丁目 - ぼくの近代建築コレクション Tokyo Lost Architecture #失われた建物 文京区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…o 2013.10.13 震災後〜戦前の建物だったようだが、元から協和美術印刷だったかどうかは不明。戦前版の火災保険特殊地図には建物名が記されていない。 ただ、戦後の火保図(1950年)では「協和印刷KK」とあり、また、1963年発行の全住宅案内図帳(中央区)では、既に「協和美術印刷(株)」と記されている。 銅板張りの併用住宅 中央区湊 - 東京ノスタルジアTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…が八丁堀2丁目にあったので、そこに移転したらしいが、現在はそれもないようで、やはり詳細は分からず。 かつては1階にも扉や引き戸があったのではないかと思うが、写真の頃にはそれもなく車庫になっていた。奥にある狭い階段が2階に続いている小さな建物。八丁堀の路地裏にある銅板貼り看板建築 - 東京ノスタルジア金陽堂印房、他/八丁堀3丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…建設年についてはコメントしていないためその詳細は不明。 左隣の銅板張り看板建築は中島米店(日本橋人形町1-16-2)で、明治中期に創業したというお店。鴻生館と同じ頃に廃業したが、Googleストリートビューによればこちらの建物は2022年9月時点でまだ残っている。鴻生館、中島米店/人形町1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture#失われた建物 中央区 #ホテル・旅館 #看板建築 #モルタル看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…この写真を撮って以降は訪れていない。2006年の住宅地図では既に建物がなくなっており、2010年撮影のGoogleストリートビュー画像では駐車場になっていて、その状態が最新の2022年9月の画像まで続いている。 なお、写真左端の銅板張り看板建築町屋は、2022年9月時点のストリートビュー画像にも写っている。楽々、他/月島2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…後半からマンションが増え、その後、高層化も進んだためこのような街並みはほぼなくなった。 ここも写真の少し後に解体されて12階建てマンションになった。その後、それも壊されて、2015年には53階建ての超高層マンションが完成している。その際、月島1-4と1-5の街区が統合されたため、現在、月島1-4街区はない。七軒長屋/月島1丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…造瓦葺の2階屋を簡易防火を意図して銅板張りにしたものだったようだ。 築地会隈は明石町の聖路加国際病院に近く、戦災を免れたため、戦前の銅板張り看板建築が多く残っているが、さすがに最近は数が少なくなってきている。 Photo 2013.10.14 銅板張りなのは通りに面している側のみ。中央区ホームページ/須田商店・石川家【×】須田商店・石川家 - ずぼら堂懐古録Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧
…棟とも解体。跡地は最近まで更地になっていたが、Googleストリートビュー画像によれば、昨年秋にはなんらかの建物の建設が始まっているようだ。 水作果実店左奥の銅板張り看板建築の福市だんごも同時期に解体された。界隈には数軒の古い商店建築が建ち並んでいたが、やはり徐々に減少している。 水作果物店/築地2丁目 | 昭和回顧録 建築編Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #木造店舗 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…郎の名は、1950年代後半の火保図で既に記されており、40年以上営業していたお店だったようだ。 ライフとS邸の2棟は2012年頃に解体され消失。桃太郎のほうは2005年頃に解体されたようだ。現在、一連の建物の跡地にはPMO神田司町というビル(2013年9月竣工)が建っている。ライフ、桃太郎/神田司町2丁目 - ぼくの近代建築コレクションTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
…ったが、後期はラーメンとカレーの店になっていた。2021年10月に一時閉店した際はニュースにもなったが、翌年2月に少し離れた別の場所に移転して営業を再開している。 Photo 2009.2.14 Photo 2014.3.16松本家、栄屋、谷川印刷/神田多町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション古い建物と街並みをもとめて: 今なお現役! 神田のミルクホールTokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 ブログ内タグ一覧